[No.3675]
#27「人口減少社会の未来学」内田 樹 編
人口動態から見ると、高度に成長した国家は相対的に出生率は下がり、人口減少が起こるのは蓋然性の高い事とも思います。アメリカが例外のように思いますけど。
人口が減少すること自体が問題ではなく、人口減少に対応する社会や制度の変化や準備が大事だという事、当たり前ですが日本人がそのような大局的な計画や意思決定ができない、という指摘がグサッときました。
まさかの事態に備えるよりも、ハッピーエンドの結末になるような予測を言ってやり過ごす、そんな仕事のやり方の結果、利用が少ない行政施設や、赤字経営の社会インフラの数々になっているように思います。
ちょうどチビ子の歴史の勉強を見せてもらって、尊王攘夷の内部の戦い、明治時代のヨーロッパ訪問とか、アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、オランダなどとの条約締結など見ると、日本が他外国の大国に飲み込まれないように、どうすべきか、今となっては是非可否もありますが、当時の政府や関係者がいろいろ考えて実践していただろう、と思われました。
翻って現代の日本の政治や行政に、そのような気概を拙者は感じません。
無価値な労働時間が日本は長い、科学技術への投資が減っているも気になる指摘です。
「関係人口」が今後のキーワードになるような気がします。血縁関係ではなく、興味や関心、共通の体験や想いで繋がる関係があれば、社会的な孤独感が減り、誰かが見てくれている、気遣ってくれていると思えるだけで元気が出たり、嬉しくなるものです。希薄な関係の人口が増えるよりも、密だったりつながりを感じる少数グループの心地よさ、あると思います。
生まれてくる子供の数が少ないのは、子供を産み育てる人口が減っているので必然だと思います。人口比の出生率が下がっているこそが少子化のポイントであり、婚姻率が下がっているから、結果的に生まれる子供が減っています。
婚姻という、個人の自由意思で決められる行動が、積み重なると社会動態に影響を与える要因になるんだな、と感じます。
性の多様性をどう受け止めるのか分からないこともありますし、婚姻するもしないも何かに強制されるものでもありません。でも、最近の若者と話すと、コロナの影響もあってか、あまりコンパもしないし、いわゆる出会いもない、と話している印象です。
拙者のつぶやきとして言いますが、今の少子化の対策として語られる、育児や授業料の負担が子供を持とうとするモチベーションを下げるという論調には賛同しません。経済合理性が子供を持とうとする気持ちに影響を与えるのは、3人目、4人目を生もうかという時には、あると思います。一人目を生むときに、経済合理性を主たる要因として子供を持たないと決定する人は、あまりいないような気がします。
確かに、アンケートをすると経済的な負担が心配だから、という回答は多いのを知っていますが、アンケート回答に本音が出ていない可能性も多いです。
子供を持ちたくてもなかなか授かれない場合も少なくない事、病気やケガと戦っている子供や家族がたくさんあること、いろんな理由で学校に通えない子供がいること、チビ子や他の子どもの笑顔や寝顔を見る度に思います、安全で健やかな日々を子供が過ごせるように、大人は頑張らないといかん、と。
女性の出産子育て期のキャリアについても、柔軟な対策がまだまだできるはずです。仕事のパフォーマンスに、男女の性別差はない、と拙者は断言します。卒業後の学び直し、違う分野を学ぶ事も、もっと許容する社会であって欲しいです。
拙者自身がどう生きたいか、を再考する機会にもなったこの本、ぜひみなさんもどうぞ。
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