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2021-07-31

Saturday morning tennis

 

[No.2846] 

新規感染者が多いと判断したら、テニススクールを自主的にお休みするのですが、朝早いレッスンならばいいだろうって、久しぶりにテニスのレッスンに行って楽しみました。

体を動かして、汗をかいて、ボールを打つ感触を楽しんで、ゲームも楽しみました。

本当であれば、夏休みなのでチビ子も一緒に外出して、いろんな物を見たり、感じたり、体験できるはずなのに、我慢を続けることになっていて、子供達にも申し訳ないような気持ちになります。

久しぶりで家族で観た映画「メリーポピンズ リターンズ」の中に、記憶に残るセリフがありました。日常の隙間に、楽しいことや幸せなことがある、と。このマインドは、拙者も強く共感するし、いつも実践しようとしています。

小学校1、2年の担任だった先生の影響ですが、今おかれている状況をいったん受け入れることによって、絶望したり諦めたりしないこと。冷静に考えたり、誰かに相談することで、解決に向かったり、対応方法も見えてくる、ということです。

いつもの土曜日よりも、1時間早く起きてテニスの振替レッスンに行っただけですが、清々しい気持ちになれたり、その後家族に作ったランチのパスタも好評で美味しかったし、うたた寝した後で、リビングで家族で映画を観て、いい土曜日になりました。

2021-07-28

ササッと作ったハンバーグ

[No.2845]

ちょっとパワー不足を感じたので、やっぱり肉でしょ。

チャチャっとタマネギ、ニンジンとシイタケを刻んで炒めて、挽肉をこねて焼ける漢になりました。

挽肉だけでなく、玉ねぎと人参を刻んで炒めて混ぜるのは、オフクロのハンバーグのマネっこです。

拙者は、さらに椎茸も刻んで炒めて混ぜております。ハンバーグを作るときくらいしか出番のない、ナツメグもしっかり入れて、焦げ目もつくように焼きました。

チビ子は美味しいと喜び、ご飯をおかわりしていました。外食するのも気分が乗らずですが、こうやって家でいろいろ作ってみると、割と美味しく楽しいのは、コロナ禍だからこそ気づけた、とラッキーに感じることにしています。

2021-07-27

国宝 聖林寺十一面観音

[No.2844]

ご縁がありまして、十一面観音像を拝見する機会を得ました。

山や岩、川や森林を神と崇めた信仰の時代を経て、聖徳太子の時代に、仏教が伝来したわけです。

どうやら奈良時代には、八百万の神々と、仏様を同じように拝んでいたみたいです。以前、京都の三十三間堂の千体の仏像を観た時にも感じたのですが、その昔、仏様と神様は同じように崇められていたと思うのです。

インドの神様の像も、仏様の像も、同じように作られて信仰の対象とされています。

人がそれを神と呼ぶのか、仏と呼ぶのかの違いだけなのかもしれない、が拙者の仮設でもあります。

アメリカの哲学者フェノロサが、明治期に訪れ、見惚れた秘仏としても有名です。立ち姿を真横から拝見しましたが、シュッとした美しい佇まい、背骨がS字を形成し、ミロのヴィーナスにも匹敵する、というコメントもうなづけます。

木彫りの仏像ではなく、木の粉を粘土のようにして形成し、中を空洞にしてあるそうです。木心乾漆像と言います。側で拝見しても、木彫りには見えないなと思ったのですが、木の粘土の彫刻、と言えます。

無駄なものがない、シンプルなのに柔かい印象を受けるのは、素晴らしい芸術作品に共通だと感じました。

 

2021-07-26

蒔くのが遅くなったアサガオ(後悔)

[No.2843]

拙者の痛恨のミス。

小学1年の夏休みにチビ子が持って帰ってから、毎年育てて種を取って、翌年種を蒔いて来たアサガオの種。今年は種を蒔くのを忘れてしまい、すまん。

まだ間に合うからって言い聞かせて、選んだ10粒の種を水に浸し、夕方種を蒔きました。

最初は3粒植えてから、種のストックは200粒を超えました。先々月には、二人のおじいちゃんにも種を送ったのに、我が家で種を蒔き忘れるとは。種よ頑張ってくれー。

10個のうち8個から芽が出ています。大きくなーれー。細胞分裂は理解しているつもりですが、あの粒からニョキニョキと成長している様子を見て、おおっすげーの気持ちです。

アサガオを7月に蒔くと、ちょうど水分の必要な成長のタイミングで、直射日光が強すぎて水分不足になる、という理由で、7月に蒔くとあまり成長しないことが多い、そうです。

毎朝水やりも欠かしませんし、アサガオよ元気に育っておくれー。 

2021-07-24

zeitViktor 両面レポート用紙

[No.2842]

拙者は、断片的な気付きを書いて、なんとなく繋げたり、アイデアを構造的にまとめたり整理するのに、方眼紙レポートノートを愛用しています。

表と裏の両面が、ちょっと違う方眼紙になっているノートを初めて発見して購入。知らなかった、こんないいノートがあるなんて。

シャーペンで図示の考え方を下書きしたり、ストーリーのポイントや分岐を書いて、線でつないでいくうちに、何となく、合理的な筋道が見えてくるような気がするのです。

0.9mmのシャーペンとか、Fの万年筆がお気に入りです。上手くできないと、サッと切り離せますし、何枚かを下書きメモにして、清書の資料作りをしたりします。もう20年近く方眼紙レポート用紙好きですね。

2021-07-23

尊敬する方にビデオメッセージを送る

[No.2841]

ドイツの現地役員の方がリタイヤされる、とドイツのメンバーから知らせていただきました。拙者は退職していますが、とてもお世話になった方でもあり、ビデオメッセージを送って、と連絡もいただきました。

英語で原稿を書いて、大きめに印刷して、チラチラ見ながらですが動画を iPhone で家族に撮影してもらって。。。何度か撮り直しましたが、なんとか自分で見直しました。

自分の声が、自分で思っている声とは印象が違うし、おまけに英語の発音もたどたどしいし、もっと英語のしゃべりが上手くならないとな、と痛感。

でもメッセージ自体は、気持ちを込めて書いたので、お世話になったお礼の気持ち、いろいろ教えてもらった感謝や尊敬の気持ちは、伝えられたと思います。

自分の下手な感じを、自分で向き合うのはしんどいですけど、少しでも上手くなるためには、避けられないプロセスです。


2021-07-22

観た映画(2021-#4): サマーウォーズ

[No.2840]

ちょうどアマゾン・プライムで無料視聴もできたので、久しぶりに見ました。物語の進みも軽快で、サイバー空間と田舎の親戚との会合のギャップも心地よく、楽しかったです。

この映画を観るのはおそらく3度目くらいですが、今回はこれまでの見終えた感とは違う感覚がありました。90歳のおばちゃんの住む本家に集う子供や孫達。いろんな事情や状況が異なるわけですけど、一緒にご飯を作って食卓を囲み、ワイワイ話して食べて飲んで、子供達が走り回って・・・

拙者の幼少期、母方の実家に雰囲気が同じものを感じました。 本家での法事、お盆の帰省、秋祭りなどは、10家族で60人くらいが集まって、みんながおばあちゃん、おばあちゃんと言って、親戚のおじさんやおばさん、お兄さんやお姉さんと遊んだり、話したり、とても楽しいものでした。オフクロ達も久しぶりに会う兄弟姉妹と楽しそうにしていて。

サイバー空間の事件や事故が、実社会にダメージを与えてしまうというのは、映画の世界の話だけではなく、我々の今の現実になりました。インターネットを安全に有益に利用するために、いろいろ考えたり実践するということ自体が、とても有意義なことであると思えるのは、拙者は少し誇らしく、嬉しい気持ちです。

2021-07-21

TAG HEUER MONACO

[No.2839]

ビジネスマンの腕には機械式腕時計、と強く思っていた拙者です。自分で振動を動力に換えることができるし、何日かで時刻を合わせるという儀式も、耳に当てるとコチコチ動いている音が聞こえるのも好きですので。

この時計は、結婚間もない時に、生産中止の大特価で購入することができたものです。おそらく、モナコで白い盤面は、現在ないと思います。大特価でも、拙者にしてみれば大きな投資額だったのですが、投資分はとっくに回収。

お気に入りの腕時計です。10年以上メンテナンスもせずに、元気に働いてくれたので、この度、オーバーフォールと傷の磨き、傷ついたガラスの交換をしていただきました。

テニススクール4ヶ月分くらいの費用がかかりましたが、帰って来たお気に入りの腕時計は、なんだか少し嬉しそうに見えました。

拙者は、ブラウンの皮革ベルトで使いたいのですが、夏は汗をかきやすいので皮膚と接する側に、ラバーの加工がされたベルトがいいですね。

大事に使って、メンテアンスをすれば、まだまだ長く使える腕時計。

スマートウォッチもいいですし使いますが、毎日のように充電しないとダメだったり、気持ちを落ち着かせたい時に、時計の音が聞けないのは、拙者にとってはビジネスマンの武器としては、もうちょっとなのであります。

2021-07-20

岡本太郎の作品を見て感じてみる

[No.2838] 

説明を受けるのではなく、まずは自分で感じてみて、というのがメッセージの一つのようです。作者が何を伝えようとしたのか、何を表現しているかの解説を聞くのではなく、いろんなことを感じていいし、感じなくてもいい、そんな岡本太郎さんはお持ちのようです。

美術や芸術に造詣があるわけではないですが、拙者岡本太郎さんの作品を見たり、著書を読むことが好きです。ストレートに言葉が突き刺さる気がしますが、攻撃的なフレーズにも素直さや優しさを感じることもあります。

写真の一つ目は、ノンというタイトルです。英語でNoを意味するノンですが、何かを拒絶する、自分を貫くために、周囲に同調しない、というメッセージかもしれません。

二つ目は河童です。大きな目でこちらを見る河童。こちらに近づいてきそうな、親近感を持っている存在。

三つ目は女神。細く華奢でありながら、体幹がブレずに朗らかに優しく空気を包むような立ち居振る舞いです。

 

いろんな方向や角度から、作品を眺めることができました。 単純な直線などなく、あらゆる曲線や構造が無駄なく、必要にして十分なシンプルさでありながらも、温度や熱を感じました。

必要なものを残し。余計なものを削る、なくても大丈夫であれば付けておくのではなく、取り外す。本質的に意味を持つものを残し、それ以外は取り外してみることを繰り返されたのか、とも思いました。

 

コロナ禍でのオリンピック・パラリンピックの開催、無観客から有観客への変更の議論要請、先進国諸国よりもワクチン接種が進まない実情、岡本太郎さんだったら、どんなコメントやメッセージを聞かせてくれるでしょうかね。


 

2021-07-19

アデニウム・アラビカム Adenium arabicum

 

[No.2837]

少しでも多く緑に囲まれたい、と思う日々。

砂漠でもきれいな花を咲かせるようで、おまけに強く長寿、となればもう興味しか持てません。

ようやく到着したアデニウム・アラビクム。太い根っこが幹になった造形も愛嬌あります。

アラビア半島近くの島が原生の多肉植物。

ついつい水をあげると根腐れになるので、手をかけ過ぎず、でも寒い冬は室内に、だそうです。元気に育っておくれー。

2021-07-18

緑の木々の中で木漏れ日

 

[No.2836]

ジメジメの雨が続いたと思えば、あっという間にカンカン照りの暑さの到来であります。

涼しい場所と思い込んでいた、カナダのバンクーバーが熱波で大変なことになっているとニュースで知りました。バンクーバーにはチビ子のことを、いつもよく可愛がってくれる方もいるので心配です。

週末に緑の多い公園に出かけました。日陰に入ると、ホッとします。背の高いメタセコイヤの木々の中で、歩きながら木漏れ日を感じました。空気もヒンヤリとなればいいですが、日陰なだけでもありがたい。

アスファルトやコンクリートにだけ、多く囲まれた生活ではなんとなくパワーがダウンしていくように感じるのは、拙者が田舎育ちだからでしょうか?汗をかいたところを、虫に刺されたりもするのですけど、こうやって自然を感じる中で、少しぼーっとする、気持ちを落ち着かせることは大事だと思いました。

出汁多めの親子丼

[No.2835]

最近の拙者のメニューで、チビ子の人気ランキング急上昇は親子丼です。

白だし、お酒、みりん、水を適当な分量で入れて混ぜて、玉ねぎを炒めて、鶏肉を炒めて、しいたけ入れて。

愛用する親子丼用の鍋で蓋をすると、溶き卵がふわふわに仕上がります。中でも出汁多めのダクダクに、三つ葉をのせると完成です。

おじやのような親子丼、よく食べてくれます。

2021-07-17

蒸気機関車SLデゴイチ

[No.2834] 

幼少期からのSL好きである拙者ですが、普段の生活で触れることができないSLに遭遇すると、妻やチビ子が呆れるほどに、SLに吸い寄せられます。

こんなに見事な蒸気機関車デゴイチ(D51)なのに、この暑さでは、近づいて遊ぶ子供もほとんどいません。

ですので、じっくりと堪能させていただきました。

お手入れがいいですね。サビもなく、塗装も綺麗ですし、青空の下で、デゴイチが映えております。



 

2021-07-12

読んだ本(2021-#-31):ホワイトラビット

 [No.2833]

 #31「ホワイトラビット」伊坂 幸太郎

オリオン座の巨星ペテルギウスは、赤い恒星で地球から650光年離れているとされています。太陽の14倍くらいの直径で大きいですし、正座の中でも見つけやすいオリオン座の、中でも一番明るい目立つ星です。

今見えているペテルギウスは、640年前の星が発した光であり、仮に500年前にペテルギウスが消滅しているとしても、あと150年はペテルギウスが存在しているかのように、地球からは見ることができる、と考えると頭がこんがらがります。

同時に発生していたとしても、当事者同士がそのことを知り合えないという状況と、よく似ています。この伊坂作品も、見事な伏線です。ある関わり合いを持った複数の人物が、それぞれあまり絡み合うことなく、交互に同時進行でストーリーが進んでいく構成を、メリーゴーラウンド方式と呼ぶそうですが、登場人物と、その関係性と、時系列の流れを見失いそうになります。

なんとか見失わずに読み切ると、ああそうだったんだ、という感嘆と爽快な読後感を味わえます。正しいことが人を幸せにしないこともあるし、正しくないことが人に幸せな時間を与える、ということも真だと思います。法を冒した者は罰せられるべきですが、法を冒していない者でも罰せられるべき、という場合もあります。

伊坂幸太郎のメリーゴーラウンド方式の作品を読むたびに、非日常感を味わえて面白いのですが、実際の我々話の日常こそ、同時進行が発生しても、当事者同士が知り得ずに、ある関わりを持つ(事後的に持つとわかる)者どうしが、つながっているんだな、と気がつきました。

2021-07-11

カレーライス → カレー稲庭うどん

[No.2832]

土曜日の夜に作ったカレーは、一晩寝かせてランチにカレーライス、夜ご飯に稲庭うどんでカレーうどんでお役目終了。

 稲庭うどんうを、カレーうどんで食べるのは、少し違うかもと思いましたが、実際には細めでコシのある麺が、カレーとよく混ざるし、馴染むので、カレーの良さも、稲庭うどんの美味しさも相乗的な効果があります。

カレーばっかりじゃ嫌、とはチビ子も言わなくなりました。いい傾向だと思います。


2021-07-10

読んだ本(2021-#30): 佐藤可士和の超整理術

 [No. 2831]

#30「佐藤可士和の超整理術」佐藤 可士和 

非常に共感できる事も多く、また拙者が実践していることに肯定的に述べられている事もあって、少し自信も持てました。

仕事環境、思考の方法などの整理をキーワードに、いかにシンプルに本質を見つけるか、本質を伸ばしたり、特徴を活用するためにはどうするか、を考え抜く事が肝要と捉えました。

業務を改善する必要がある、という場面に仕事上出くわしたり、改善する方法を考えたり提案する仕事もいろいろ直面してきていますが、拙者自身は、いつも「そもそもやる意義がある仕事か」、「その仕事で実現すべき姿とか何か」をいつも最初に意識します。従来のご担当者に直接聞く事もありますが、このセリフが摩擦や軋轢を生む可能性が十分にある、ある意味危険な言葉でもあります。

実際に、この問いに答えてもらえない事も少なからずあります。そんな時は、その方に代わって意義を再定義したり、あるべき姿を描いてみようと挑むわけです。

前任者のいない仕事をする場合は、ここらへんを拙者自身が自由に思考することもできる楽しさもあります。前任者のいる場合は、前任者に納得してもらえる考え方や進め方を議論する、楽しさ(つらさ)もあります。

意義のない仕事はしたくない、実現すべき姿の見えないままで仕事するべきではない、という考え方は、もう15年くらい大事にしている考え方です。多分これからも大事にしますし、実践します。



2021-07-09

Blue Yeticaster

[No.2830]

仕事やプライベートでのWEB会議も回数をこなしてくると、いろんなコツが掴めるし、気づきもあります。

通信環境だけでなく、使っている機器によって、画像や音声が変わることにも気がつきました。

拙者は、耳穴に入れ込むイヤフォンを長時間(30分以上)使うと、頭がボワンボワンになるので、耳を覆うタイプのBluetoothイヤフォンを使っています。イヤフォンにマイクも付いているので、イヤフォンマイクで使っていましたが、どうやら時々Bluetoothがスマホや、自宅PCにも接続しようとしてしまうらしく、話す言葉が途切れたり、宇宙人の声みたいになったりするようです。

ケーブルのマイク、デスクの上で邪魔にならない、どうせなら高品質といろいろ見た結果、このマイクを選んだのでした。指向性も指定できますし、音声は確実にクリアになったようです。歌を録音することも問題ないようなので、残された問題は拙者の歌唱力だけのようです。

趣味で使うには、拙者には高価ですけど、仕事向けの投資と考えれば合理的に思えます。自宅の仕事用デスクが、ますます基地っぱくなって、嬉しい感じです。

2021-07-08

読んだ本(2021-#29):1984

 

[No.2829]

#29「1984」ジョージ・オーウェル[訳]田内 志文

とても読みごたえがあり、読み始めた時は、繰り広げられる世界や日常が理解できなかったですが、どんどんハマります。

インターネットにあふれる情報、真偽の分からないニュース、ブログや映えのある写真や記事。意識しないでも、無意識にインターネットやメディアで流れる情報やニュースで、自分自身の判断や思考が影響されているとしたら。

世間体や常識で定義される行動や生活様式、本当に自分が望むものか、目指すものかは、あくまでもいろんな情報やデータを見ながらも自分で判断するものですが、「自分で判断」って、本当は、自分で判断しているのではなく、自分で判断させられているとしたら、そんな話だと思いながら読みました。

物語としては長めです。一文一文も長いですが、第2部くらいになれば、どんどん世界観が分かってきました。個人の言動が監視され、テレスクリーン(おそらくインタラクティブなテレビとカメラの合体)に撮られたり、写ったりしている様子を常に見られており、たとえ家族、友人や恋人との会話であっても見られているし、告発もされます。

事実が、当局の都合によって次々と書き換えられ、過去の歴史も、現状の都合がいいようにどんどん書き換えられて、書き換えられたことが、歴史的事実として置き換えられていることを、違和感なく受け止めて生きる人々。

そんな世界はあくまでもお話の中、ではなく、今の我々の日常も似て非なる状況になる可能性も感じます。

自分で実際を見て聞いて、自分の感覚と他人の感覚の差異も認識しながら、自分自身で決断することが大事だし、それができなければ、得体のしれない恣意的な権力に、弄ばれるぞ、という認識を強く思いました。

いい本に出会えました。


2021-07-07

当たり前に期待すること平凡さと危うさ


[No.2828]
明けない夜はなく、やまない雨はない、
これは拙者が自分自身にかける言葉の一つです。今に絶望するのではなく、少し待てばそのうち解決の糸口も見えてくるから、という気持ちなれます。
いろんな困難があっても、心を折らずに踏ん張る、嵐が過ぎ去るのをじっと待つことも必要ですし、有用と思います。

夜が明けるのが当たり前、雨がやむのは当たり前、と表現すると、少し意味が変わってしまうように感じます。「当たり前」という言葉には、大いなる蓋然性に裏打ちされた高い発生確率を前提として含んでいます。
我々の日常には、繰り返される事象や期待したとおりに起こる出来事が多いですが、平穏や健康を、当たり前だとは思わない方がいいです。感謝を忘れずに。

写真は、自宅マンションのドアから見えた青空です。曇りの多い最近は、こんな鮮やかな青い空は見れておりません。まあこんな青空だと、かなり暑い日にはなりそうですけど、やはり青い空はいい。

2021-07-04

フィットチーネ生麺とエビ背腸取り除きバージョンアップ

 [No.2827] 

チビ子がリクエストするので、休日にパスタを作り機会は多くなるのですが、マンネリにならないように、拙者は少しずつバリエーションを増やそうとも思うのです。

チキンとエビとそ=セージのオイルパスタですが、今回は2つのポイントでバージョンアップです。

まず最初は、フィットチーネの生麺を手に入れいました。硬めに茹でても、時間が経過してももちもち感が楽しめます。

次に、ムキ海老の背腸取りがよくなりました。丸まったおなか側から取り出せるようになったので、海老のムチムチ感を味わえるようになりました。

コロナ禍で自宅ご飯も多くなりますが、こうやって少しずつ楽しんで、美味しいと最高です。レストランやお店で食べるご飯んも、もちろんいいですが、やってみたら出来るじゃないか、と感じられることが、多分拙者は嬉しいのだと思います。

写真はアップしませんが、チビ子は一口食べて美味しいと、すぐにフォークを持たない左手を高く上げて、親指を立ててグー👍、として見せてくれます。

2021-07-02

野毛大塚古墳(帆立貝形古墳)

 

[No.2826]

久しぶりの古墳シリーズ。

拙者、出かける目的地の近くや通り道に、古墳があるかどうかを割り時にするタイプです。ちょっと寄り道すれば古墳がある、なんて場合は、確実に古墳を拝見します。

今回は、初めて帆立貝形古墳を拝見しました。前方後円墳とは少し異なる、前方の方形部分が全体と比較して小ぶりで、かつ円墳部分の盛りが高い、が特徴と見ました。

どうやら、大規模な前方後円墳の造営を、大王に禁じられてことが前方の縮小になったという説が有力なようです。大きく盛られた古墳は高さ9m。造営当時であれば、遠くからでも見てわかる大きい古墳だったはず。有力者の権威を死後も奉る、という目的であり、死後の安寧を祈願し弔うではなかったように思います。弔いのであれば大きさは不要な気もするのです。

多摩川西岸には、大きな古墳があちこちにあります。九州北部、畿内、関東の古墳の形状が似ていますが、どうやって伝播したのか、たまたま似たのか?全国を回る古墳建築家がいたのか?人生でそう何回も古墳の建築に携わることもないだろうし、図面があるわけでもないだろうし。

実際のところ、どうだったんでしょうね。

 

2021-07-01

読んだ本(2021-#28):イノベーションのジレンマ

[No.2825]

#28「イノベーションのジレンマ」クレイトン・クリステンセン著

市場のリーダーである大企業が、新しい市場や技術革新の中で、さらなるリーダーになることの難しさ、栄枯盛衰という観念ではなく、組織論、企業の経営決定プロセスや価値判断などの側面から、事例を交えて論じられており、非常に有意義な読書になりました。

アメリカのコンピュータやハードディスク業界の事例が長く語られますが、ハードディスクやコンピュータが小型化する傾向の中で、リーダーである大企業が、次なるマーケットでの勝者やリーダーになれない構造的な要因が理解できました。

企業における成功体験を構成する、意思決定プロセスや判断基準が、一過性のものであることを強く感じます。過去の成功は参考にはするけど、決して依拠せずに、まっさらな気持ちになって判断するくらいの潔さがなければ、イノベーションの中ではビジネスチャンスをつかんだり、成長できない、とも思います。

小さな組織に小さなチャンスを与えて,組織やマーケットを育てるくらいの気持ちが必要で、いきなり利益率や成長率を見てしまったら、過去の成功体験の指標と比較してしまうので、新しいマーケットの成長を待つことなく、断念してしまうのは、会社あるある、でわかるような気がします。

特に気になる箇所を、メモとして抜粋します。

「能力の移行」

組織が設立したばかりの段階で行われることは、組織の資源である人材に依存する部分が大きい。数人のキーパーソンの異動が、組織の成功を左右する。しかし、時が経つにつれ、組織の能力の中心は、プロセスや価値判断へと移っていく。〜

〜成功をおさめた企業が成熟すると、従業員は徐々に、それまで受け入れてきた優先順位や意思決定の方法が、正しい仕事のやり方だと考えるようになってくる。組織のメンバーが、意識的な決定ではなく、思い込みによって仕事の方法や意思決定の基準を受け入れるようになると、そのようなプロセスや価値基準は、組織の「文化」を形成するようになる。数人の企業が数百人、数千人という規模になると、いつも同じように適切な仕事をするために、なにをどのように行うべきかを全従業員に徹底させることは、最もすぐれた経営者にとっても難しい。このような場合は、文化は強力なマネジメントの手段になる〜

 

会社の文化って、諸刃の刃ですね。個人も会社も、常に変化をしようと意識しなければ、今を少しでもよくしよう、たまにはチャレンジしてみようとしないと、あっという間に成熟し、成長できない局面になってしまう、そう確信しました。