[No.2826]
久しぶりの古墳シリーズ。
拙者、出かける目的地の近くや通り道に、古墳があるかどうかを割り時にするタイプです。ちょっと寄り道すれば古墳がある、なんて場合は、確実に古墳を拝見します。
今回は、初めて帆立貝形古墳を拝見しました。前方後円墳とは少し異なる、前方の方形部分が全体と比較して小ぶりで、かつ円墳部分の盛りが高い、が特徴と見ました。
どうやら、大規模な前方後円墳の造営を、大王に禁じられてことが前方の縮小になったという説が有力なようです。大きく盛られた古墳は高さ9m。造営当時であれば、遠くからでも見てわかる大きい古墳だったはず。有力者の権威を死後も奉る、という目的であり、死後の安寧を祈願し弔うではなかったように思います。弔いのであれば大きさは不要な気もするのです。
多摩川西岸には、大きな古墳があちこちにあります。九州北部、畿内、関東の古墳の形状が似ていますが、どうやって伝播したのか、たまたま似たのか?全国を回る古墳建築家がいたのか?人生でそう何回も古墳の建築に携わることもないだろうし、図面があるわけでもないだろうし。
実際のところ、どうだったんでしょうね。
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