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2008-07-01

フィレンツェのニュースで思い出した

[No.807]

このニュースを見て思い出しました。
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ハートマークに相合い傘 落書きだらけの伊大聖堂 2008.6.29 15:06(共同)

イタリア・フィレンツェの世界遺産登録地区にある「サンタ・マリア・デル・
フィオーレ大聖堂」の壁には、これまで判明した京都産業大や岐阜市立女子短大の
学生らによるもの以外にも多数の日本語の落書きが書かれていた。

観光客に混じり28日、大聖堂に入ると、クーポラ(円屋根)に上る階段の壁に
多数の落書きが見つかった。特にひどいのは階段を上りきったクーポラの展望台。
多くの観光客が市内の展望を楽しむ場所だ。

ほとんどはイタリア語、英語、スペイン語などで書かれ、日本語は全体の1割程度
だったが、ハートマークの中に多くの女性の名前が書かれ、
その下に「本当の愛をさがしにいくよ」との落書きも。
都内の私立大生を名乗るものもあった。
「落書きをしないで」とのイタリア語と英語の警告もあった。
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フィレンツェ大聖堂に限らず、日本の神社仏閣でもたくさん見かける落書きです。
新聞記者がサンゴ礁を落書きで傷付けた事件もありましたね。


昨年、フィレンツェに旅行し、拙者達もクーポラ(円屋根)に登りました。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/curryman0619/view/20070915

途中は暗い階段でしたが、いろんな箇所に落書きがありました。
英語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、漢字、ハングル、イラスト・・・
日本語もありましたが、多くが日本語というわけではなかったです。

階段を登る途中で落書きを見ると、腹立たしさを覚えました。
でも階段を下りながら落書きを見たときは、悲しく、さみしくなりました。


狭い階段は、降りる人、登る人で交互に順番で相手を待ち、
通り過ぎる時には、「まだまだ続くよ」とか「もう少しだ」と声をかけたり。
展望台では場所を譲り合ったり、シャッター役をいろんな人と交替したり。
いろんな国の人と一緒に穏やかな気持ちになれたのですが。

途中で見える大聖堂天井の壁画、クーポラの上からの市街景色、何よりそこにあ
る歴史を肌で触れると大満足し、拙者には落書きしたい、という衝動は一切ありませんでした。

フィレンツェはとても素敵な場所ですから、
観光客も気分が高揚して落書きしちゃったんでしょうかね。

でもこのニュース、日本人の落書きばかり、というような印象を与える報道が散見されるのは
気のせいでしょうか?

大学名を報道するあたり、晒し者的な扱いを感じます。

ラグビーでも有名な大学名も落書きされてましたけどね、あくまでも拙者の記憶ですが。
なんでその大学名は報道しないのでしょうかね?
まさか書いている記者の出身大学って事もないんだろうけど、はたして。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今日、明治神宮に散歩に行き、柱に落書きがなくて良かったねって妻と話していました。タイムリーな話題です。
そういえば、小学生の頃以来、久しく落書きをしておらず(というか、してはいけません...ですが)、もう、落書きする人の考えや気持ちがまったく、理解できず、このニュースを見たときに、そのような事をする人たちをどうとらえていいのか、わかりませんでした。
昭和の高度経済成長期を生きた歴戦の勇者たちのなかにも、有名な場所に落書きをしてしまう人たちっていたのかな...とか、どうでもいい事を思っていました。

Curryman 侍 さんのコメント...

さとしん様>昭和の高度経済瀬長期を生きた歴戦の勇者たちの中にも、落書きしたり、ゴミをポイ捨てしてしまった人たちもいたことでしょう。落書きする背景としては、
(1)何かイタズラしてみたいと思う気持ち
(2)メッセージを残したいという気持ち
(3)その場のノリや勢い
というような理由が大凡だと思います。

(2)はなんとなく悪くないような気もしますが、自分の名前を書くなんて論外。
匿名性に虎の威を借りた凶暴なネットの書き込み、とあまり大差はないように感じます。

自分勝手な行動で人に迷惑をかけない、そんな生き方を実現したいものです。そんなに立派なことでもありませんが、そんなに簡単なことでもありませんが。

匿名 さんのコメント...

神社=日本人の神聖な場所
大聖堂=外国人(キリスト教圏の人?)の神聖な場所

こんな感じに考えると、日本人が神社の鳥居に落書きはしないだろと思ってしまいます。

奈良京都の寺社には外国語の落書きがあるんだろうかと思ってしまいますが、どうなんでしょうか?

Curryman 侍 さんのコメント...

土塀に書かれていたのは、日本語が圧倒的に多かった気がします。鳥居にはないかもな、確かに。
三十三間堂の板壁にも、あちこちに見つけた時は、悲しい気分になりました。
観音様達は、何をお考えなのでしょうやら。