邪馬台国の存在に関する九州説と畿内説のどちらを支持するかには関係なく、3世紀中頃から後半に築造された古墳として箸墓古墳を捉えたとして、「渡り土堤」が
- 内濠に水をためる役割
- 古代中国の神仙思想に基づく
には、違和感を覚えます。そのようにコメントしているのは、長年古代や古墳研究に実績も成果もお持ちの方のようですので、みなさん突っ込まないのかもしれません。
私が読んでいてとても納得感のあるのは、松木武彦先生の「古墳時代の歴史」です。
古墳の分布の経緯としては、濠や環濠のある古墳は、畿内の古墳も尾張地域の影響を受けたものと考えられるので、古墳時代後期と考えられます。卑弥呼の時代とされる西暦170-248年とは重ならないので、箸墓古墳を卑弥呼の墓とするのは納得感はないです。
箸墓古墳の造営後、しばらくして環濠が造営され、田畑の灌漑用水として活用されたんだと思います。古墳への立ち入りを忌避する目的として環濠を作ったのではないと思います。
こういうの考えるの楽しいです。
箸墓古墳の名の由来、日本書記に書かれているとは言え、?な感じ、歴史学者には突っ込めないのでしょうかね。
古事記や日本書記の記述を疑い始めたら、歴史学の収拾がつかなくなるのだとは思いますが、事実には近づけない気もします。
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