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2020-06-11
読んだ本(2020-#7):理性の限界
#7「理性の限界」高橋 昌一郎
友人に紹介してもらった本です。
もっと早く読みたかった、でもきっと理解は半分の半分くらいだと思いますけど。
我々人間が、どこまで、何をどのように知ることができるか、という大きなテーマについて、自然科学者や、倫理学者、いろんな流派の哲学者などのそれぞれに視点から、議論形式で学説や見解を述べており形式で書かれており、読みやすかったです。
わかるとはどういうことか?
例えば、今見えている太陽は、8分19秒前に太陽から発せられた光を見ているのであって、まさに今同時刻で存在している太陽を見ているわけではない。
つまり、今同時刻で存在している太陽すら、私は見ることができない。
でも、太陽を見ることはできる(わかる)、と信じている拙者ですけど。
あらゆる物を視覚で捉える場合、
物体から反射される光のスペクトルを、視神経で色彩データが作成され、
脳内で物体の形状や色彩に再構築される。
視神経の色彩データ変換性能は、個々人の虹彩や網膜等の性能差異で同一ではないので、
同じ物体を見ながらも、個々人で感じている色彩は実は同じでもない。
同じ物体を見て、同じ色を感じてはいない(わかってない)、という事実。
あらゆるものを理性で理解する、合理的に認識することは出来るのか、
がこの本の書き出しなのですが、限界があることを知るのも面白かったですが、
そんなところまでわかっているのか、と知ることも面白かったです。
「知性の限界」、「感性の限界」もあるので、これから読んでみます。
2020-09-22
読んだ本(2020-#28): 知性の限界
[No.3225]
#「知性の限界」高橋 昌一郎
「理性の限界」に続けて読みました。
- ウィトゲンシュタインの言語の限界
- ポパーの開かれた宇宙
- ファイヤーベントの知のアナーキズム、
など聞けば??というような議論や考え方も、パネリストと参加者との掛け合いになっていて、読んで面白いです。
「言語の限界」という考え方が特に興味深かったです。
現代社会では、あらゆる知識や情報が言語化されるわけですが、言語化されるという現象が、すでに幅や揺らぎを持っているものなので、たとえ言語化しても、理解や状況把握を共有することに限界がある、という考え方。
この後、3部作の締め、「感性の限界」に突入します。
2021-12-30
読んだ本(2021-#60):感性の限界
[No.3514]
#60「感性の限界」高橋 昌一郎
友人Nに紹介してもらった限界シリーズ3部作、ようやく読了しました。
理性の限界、知性の限界に続けて読みましたが、哲学の歴史、世界の歴史、科学の歴史などの広範な基礎となる知識がなければ、読者の言わんとする事が大凡理解できないのかもしれませんが、それでも半分くらいわかったつもりになれたとして、読んでよかったです。
自分がわかると分かると言うこと、正しいと思えると言うことも、いろんな視点や科学的な根拠があると思えば、拙速に結論することもできませんし、間違った判断になるかもしれない、と謙虚になることもできます。
限界シリーズを読んで感じたことは、これからも少しずつ自分で考え続けて生きていきたいと思いますが、このブログを見てくれているみなさんに少しお裾分けしますと、自分で見えているからと言ってその通りでもなく、科学としてそのように評価されているからと言って、そうでもなく、昔からそう伝えられているからと言って、実はそうでもない、という事が溢れていると言う事です。
常に、自分で色々見たり、聞いたり、確認して考えて結論すること、そして他の人の意見も柔軟に聞いてみて、受け入れてみる事がとても大事だと言うこと。いろんな国や文化の人々と交流したり、仕事するのであれば尚更です。
2021年は、この本で読んだのが60冊です。おそらく、これまでで一番冊数を読んだと思います。来年以降も、もっともっと面白い本を読んでいきます。