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2016-07-20

なんとなく過ぎてしまう日常の中で、やっぱり立ち止まることも必要な想いに急に駆られる

[No.2673]

帰宅すると残念ながらチビ子は寝ていることも多く、
あーあ~とつぶやいて遅めのご飯を食べて、
妻とワーワー話して、リビングの床にゴロンとなって、
ついついウトウトして妻に起こされて、
シャワー浴びて寝る、そんな日が続きます。

週末は、家の片づけをしてからチビ子と遊んだり、
出かけたりして、ワイワイと賑やかです。
適度をちょっと超える疲労も残りますが、
妻もチビ子も私も元気で、嬉しいことです。

仕事もおかげさまでいろいろ担当させていただき、
ロサンゼルス、アメリカ東海岸、オーストラリア、シンガポール、
ドイツ、イギリス、中国などの世界中の仲間と進める
プロジェクトもあったりして頑張り甲斐があります。

帰宅途中の電車の中で、音楽を聴きながら車窓の風景を見ていて
ついつい気付いてしまったのです、この風景、毎日と同じだ、と。

車窓に見えるマンションの窓の明かり、どれも同じように
たくさん向こうの方までに見えるのですが、
その窓に見える明かりの下には、それぞれの生活があって、
喜怒哀楽が繰り広げられているのに、
嬉しいことや、悲しいことや、幸せなことが
それぞれに、いつも同じというよりも、常に変化してあるはず。
なのに、みんなどれも同じようにしか感じず、毎日繰り返している自分を
これじゃダメなんじゃないか、と感じたのです。

10年以上前ですが、転職前に働いていた会社は新橋でした。
夜9時頃に、地下鉄新橋駅から帰宅しようとして、
地下に降りる階段を歩いていて、定期券を落としたので
拾おうとしてかがみ、立ち上がって振り返ると、
階段を降りようとしているグレーのスーツの人並みを見て
ゾッとしたことを思い出します。

嗚呼、俺
疲れているサラリーマンの One of themになってしまっている。
このまま40歳、50歳、60歳になるのかな?
結婚できるかな? どこに住んでいるだろうか?
子供はいるかな? 実家の父や母は楽しく過ごせるかな?
急に不安になってしまったことがありました。

そして、脳内に流れるBGMは、
浜田省吾「とらわれの貧しい心で」

その後、1年くらいで転職して、今に至るのですが、
久々にそんなことをまた感じて、
少し考えてみようとしているのかもしれません。

うーん、寄せては返す海を、しばらく眺めていたい。

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