[No.3167]
拙者、年齢も重ね、ただでさえ緩かった涙腺がますます崩壊しやすくなっております。
成長しているチビ子に、拙者の母や義理の母と一緒に遊んだり、話したりすることができたら、どんなにいいかなと思うと、眼や鼻の奥がジーンと熱くなります。
母達のそれぞれの写真をダイニングに置いており、いろんな事を報告したり、話しかけたり、手を合わせたりしています。
信心というよりも、たまには傍にいてくれると嬉しいなと思ったり、こちらから話しかけやすいからなんですけども。
チビ子を叱る時も、おばーちゃんが見てるよ、と言えば、チビ子もよくわかります。
コーヒーを淹れたら、まずは母達に入れて供える、美味しい果物が手に入れば、母達の写真の前にも置く、花が好きだった母達には花を飾る。拙者のこだわりで、母達に飾る花として、菊や菊の仲間の花は飾りません。仏花として供えるのではなく、花好きだった母達に見てもらう、が目的なので。
この写真は、チビ子がスマホで撮ってくれたものです。おばあちゃんもきれいと思うよ、とごく自然にチビ子が言ったのを聞いて、嬉しくなりましたが、母達と一緒の空間でチビ子が成長の成長を喜べない事が、やはりさみしくなりました。
大きなケガや病気もなく、チビ子が成長しているのは、母達のおかげでもあると思います。母は、祖母を見送って7回忌が終わるまでは、さみしくてしょうがなかったけど、7回忌後はさみしさも受け入れられるようになった、と話していました。
拙者はと言うと、母から聞いたようにさみしさを受け入れられるようになったと感じます。ただ、チビ子の成長を感じる度に、チビ子が母達と直接会って、話すことができれば、どんなに楽しいだろう、どんなに母達が喜ぶだろうと残念に思うようにもなっています。
今の拙者の仕事のこと、最近の家族の出来事もいろいろ話してみたいし、いろんな母達の意見も聞いてみたいです。私たちが母達の声を聞くことは難しいですが、きっと見ていてくれているだろうなと思って、毎日を健やかに、前向きに挑戦するだな、と気持ちをまとめて、本日のつぶやきと叫びを終えたいと思います。ついつい吐露してしまいましたが、たまには自分の体の外にこの思いを出さないと、溢れてしまってはしんどいので、書いておくことにしました。
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