[No.1676]
万葉集にも登場する悲恋のお話があるそうで、 素敵な若い女性が、二人の若者が求婚し、 思い悩んだ乙女は川に身を投げ、 それを知った二人の若者も後を追った悲しいお話。 哀れんだ親族が、乙女の墓として作ったのがこの古墳であり、 その古墳を挟むように東西2kmの地点に2つの求女塚(もとめづか)、 西求女塚古墳、東求女塚古墳がある。 拙者初めての前方後方墳でした。 古墳としては現在少し残念な状態です。 大正11年に国指定史跡となりましたが、 すでに道路建設で破壊されており、 今は散歩できる公園として整備され、 墳丘の上も気軽に散歩でき、ラジオ体操も出来る、街灯もある。 かなりオープンでフレンドリーな古墳でした。 前方後方墳は、中央の権力に属さない地域の豪族の墓として典型的なタイプとの事。 山陰系土器も出土しておるとのこと。 5世紀の頃、土器を運んだのか? 土器の作り方が伝播したのか? どうやって??? 歴史的な切り口としては、かなり初歩のところでも十分楽しいのであります。
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