[No.3653]
拙者の古墳への興味は、なんで、どうやって作ったんだろう、というとても素朴な疑問からでした。
権力者の権威を示すために、祭祀のために造営された、という説明を社会の授業で聞いても、なんとなく本当にそうだろうか、と思って聞いていました。
実家から行ける場所に、20m長の前方後円墳や円墳があったこともあり、古墳には馴染みがあったのです。このBLOGでも、素朴な疑問と興味でつぶやき始めた時から、ボチボチと生活の興味関心の一つに古墳を置いていますが、今回初めて橿原考古学研究所 編の著作を読んでみました。1997年の著作です。
拙者の疑問の主な2つは以下です。
1、前方後円墳は、朝鮮半島から日本に伝播したものではないのではないか?
wikipediaによると;
朝鮮半島西南部の栄山江流域では、日本列島に特徴的な前方後円形(円形の主丘に方形の突出部が付いた鍵穴形)の墳形を持つ10数基の古墳の存在が知られる。これらは5世紀後半から6世紀前半(朝鮮半島の三国時代、日本の古墳時代中期-後期)の築造とされ、3世紀中頃から7世紀前半頃にわたって展開した日本列島の前方後円墳の手法を基にしたと見られることから、当時の日本列島と朝鮮半島の政治的・経済的・文化的関係を表す事例として注目される。
前方後円墳は、日本から朝鮮に造営が伝わったと捉えた方が事実に近い可能性が高まった、と思います。
2、約400年間と考えられる古墳時代で、九州、中四国、近畿、北陸、関東、東北にまで造営された前方後円墳、造営技術は日本国内でどう伝わった?
この疑問は、この本を読んでも解決できませんでした。
しかし、さすがの研究所、なるほどという研究成果はたくさんありました。
石室の造営技術の変化に、古墳造営の時代的特徴が現れる、ということ。当たり前ですが、石室を作ってから盛り土をしますから、組み石の技術、石室の大きさから、技術の成熟度や被葬者の立場などが類推できる、ということ。
改葬、土葬から火葬、薄葬化、寿陵(生前に造営する墓)が大事なキーワードだと思いました。
初期の古墳に見られる竪穴式石室は、死後に造営していたと思います。埋葬後に古墳とするのだと思います。
横穴式石室は、寿陵であり生前から石室も造営し、石室内部にも壁画が描かれているのだと思います。
改葬が古墳の被葬者にも行われていたとは知りませんでした。寿陵に土葬で埋葬後に、横穴式石室を開けて、改葬するだったのですかね。
前方後円墳が小規模になり、円墳や方墳と薄葬化ことは納得感あります。
石室内壁画は、高句麗の古墳に多く見られることから、高松塚古墳の貴婦人やキトラ古墳の四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の壁画は、朝鮮から伝わったものと思われます。
やっぱり、疑問2は疑問のままです。文書も文字も日本にはないであろう時代です。中国には文書も文字もありましたから、古墳の造営技術が文書で伝わったのでしょうか?
この疑問が明らかになれば、当時の天皇、治世の影響範囲、地域の生活などがもっとよく知れるのにな、と思いながら、これからも古墳に興味を持っていくと思います。
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