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2025-02-15

高校生の頃の自分に話してあげられるとしたら

[No.3654]

最近、空気は冷たかったですが快晴の皇居前を散歩しました。

空が広くて快適で、皇居前の凛とした空気と、東京駅や大手町という中心地の活気もある独特の場所です。

東京駅のそば、天皇陛下のいらっしゃる近くを散歩するなんて、毎日野球とかサッカーに明け暮れていた田舎の少年には想像できなかったと思います。

高校生の頃、どんなことを考えていただろうか、と思い返すのですが、なんとなくの希望と不安しかなくて、どこに住んでいるか、どんな仕事をしているか、したいか、なんて具体的には考え込まれていませんでした。志望する大学や学科のことも決めなければならないけど、理系よりも文系かな、くらいしか思えなくて、それも数Ⅱとか物理が苦手だし、という消極的な理由だったと思います。

勉強の成績良ければ、いい大学に行けるし、将来の選択肢も広がるし、安定した生活がいいでしょう、という大人の論理を浴びていました。

実際に大学進学後に、自分の興味関心を深めたいと思える専門領域を見つけて、深堀する機会が得られたのは幸運でした。就職には苦労もしたし、悔しい思いもしましたが、英語で仕事したり、転職して、今の仕事につながる業務経験をいろいろ積めたこと、成果とか自信も持てたのは、いろんな人にお世話になったおかげでもあります。

決して、人生とは描いたとおりになるものではないこと、でも自分が目指すものをいつも意識したり、努力をコツコツと続けることは大事だと思います。思い通りにならなくても、自分がやり甲斐を感じられたり、楽しいと思える人生になれば、それはとてもいいことだとも思えます。

どんな仕事がいいか、安定した生活が送れるか、安定した生活とは何か、今の拙者でもどう定義したらいいのかわかりません。でも、自分で道を切り開く、棚からボタ餅は単なる偶然では掴めない、シリアスになりすぎなくていいけど、自分で努力しないと競争には勝てない、いい人にも巡り合えるといろいろ何とかなる、そんなことを高校生の頃に話してみたくなりました。

また、想像できない面白いことがこれからもあるぞ、と思えた週末の外出でありました。

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