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2023-06-30

読んだ本(2023-#32):あのころはフリードリヒがいた

[No.3261]

「あのころはフリードリヒがいた」ハンス・ペーター・リヒター

チビ子が読む事になっていると聞いたので、先に拙者が読んでみたのです。第二次世界大戦の戦時下のドイツ、ユダヤ人差別の話だと聞いていたので、あまりに残虐なシーンがあれば、先にいろいろ説明した方がいいと思いました。

ドイツに出張して現地のメンバーと知り合いになっても、やはり第二次世界大戦の話は、そんなにするものではありません。10年以上いろいろ一緒に話したり、協力したりしたメンバーとは、二人きりの時にいろいろ聞きました。

ナチス政権下の鉤十字や敬礼のしぐさは、法的に禁止されている事、ユダヤ人虐殺は筆舌しがたい誤りとして、義務教育で徹底的に理解を深めたこと、でも最近の若者には徹底もできてない問題があること、など。

自分の生活する空間で、戦闘機や爆弾が行き交う事を幸に拙者は経験したことがありません。今、まさにこの瞬間を、戦闘下で生活している人々がいることを忘れてはいけません。戦争の為にと、いろんなそれまでの慣行や常識的で合理的な判断が捻じ曲げられたり、差別的な言動や恣意的で攻撃的な発想がまかり通ってしまう不思議や不合理を、このインターネットや情報化社会で、抑止することはできるのでしょうか。

人種、性別、年齢や宗教などによって、思考や何かの共通点はあるでしょうし、あるグループにとっての共通点は、他グループとの相違点にもなります。今拙者は、ジェンダーも宗教も人種も多様な環境で仕事をしていることもあり、仕事の進め方やコミュニケーションの取り方は、人種、性別、年齢や宗教によって特徴があるような錯覚を持つけど、実はとてもパーソナルな事情の結果である、と仮説を持っています。相手がどこの国の出身だろうが、性別や年齢や宗教による違いを意識するよりも、段取りや進め方、説明の流れや根拠などをどうしたらもっと良くなるか、を話せるかどうか、だけを気にしています。

小学校高学年の頃、母と言い合ったことがあります。日本の中で○○差別と呼ばれる社会問題が、江戸時代末期から今も残るのは、大人の責任だ、と拙者が言ったのです。子供が生まれながらにして、相手の出自や職業の貴賤を知る訳ではないので、大人に刷り込まれるからだ、と。母は、大人にもいろいろ事情や経緯があるからしょうがない、とか言うので、そんな事を大人が言っているから、いつまでも何も根拠がない差別が残るのだ、と拙者が言うと、しょうがないでしょ、と怒り気味に言ってました。

拙者は、今でも差別が続くのは、大人の責任だと思っています。あれは社会的な優位性を脅かされそうなちょっと優位なポジションの人たちが、対象を有意な根拠もなく蔑む事によって、自分の優位性を保持しようとする、しょうもない行為である、と思います。差別が合理的であるという存在には、真っ向から戦っていきます。

フリードリヒのようなつらい想いや、悲しみを子どもに味合わせることがないようにするのが、大人の責任、学校で勉強させてもらった者の責任だとも思うのです。

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