#90+#91「オリンピックの身代金(上)(下)」奥田 英朗
1964年の東京オリンピック開催準備のこと、父にもいろいろ聞いたことがあります。1945年終戦の19年後に、敗戦国がアジアで初めてオリンピックを開催するのは、今でもミラクルだと感じます。東京タワーの建設途中には、父も東京で仕事していたことがあるらしく。復興の高揚感はすごかったらしく、でも終戦から取り残された問題などを覆い隠すような実態、やっぱりあったみたいです。
秋田の農村から上京した東京大学の大学院生、官僚の家に生まれた都会育ちのテレビ局員、同じ年齢であっても、世間で受ける処遇や生活ぶりには、天と地ほどの差があります。
高校への就学機会もなかなかない地方の農村、出稼ぎで都会に出て、田舎の実家に仕送りをするものの、そんな生活に疲れたり、都会の風に吹かれて田舎の実家と疎遠になる、ということもあったみたいです。
東京オリンピックの特需、国を挙げて開催準備を突き進める中では、工事下請けの過酷な状況があったことも容易に想像できます。東京やオリンピックに集中する予算や注目も、一点豪華主義の歪みを間違いなく生んだと思います。
秋田の田舎から、東京大学に進学し、大学院でマルクス経済学を学ぶ島崎。東京で働く兄が飯場で急逝したと連絡がありました。病死だからと念を押され、下請けの飯場事情を知ろうと、1ヶ月半ほど飯場生活を始めます。賭場やヒロポンのことを知る中で、兄の逝去の実態を知ったあたりから、プロレタリアートの地位向上や社会格差への戦いの気持ちが出てきたように読みました。
社会制度や実在する階級の問題、やるせない不平等感などをどう受け止めたらいいのか、拙者には分かりませんが、ただ不満を言うだけでなく、自分にできるベストは尽くしたいと思います。戦って勝てそうではない相手、誰を相手に戦えばいいのかもわからない戦いもあるような気がします。
暴力やテロを肯定することはできませんが、そんな戦いに挑む気持ちは、持っていたいと思います。
戦いを挑もうと犯罪行為に起こす者、やるせない不平等感の中で足搔くことさえ諦めた者、社会体制の維持のために戦う者、国威高揚に好意的な者と否定的な者などの、いろんな立場からの登場人物の立場にもなりながら、一気読みでした。
そういうことだからしょうがない、を拙者の人生では安易に受け入れたくないと思っています。犯罪行為になることなく戦い勝つ、じゃないといけません、やっぱり。
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