[No.3237]
誰かに何かを伝えようとすると、日常のコミュニケーションでは文字や声ということになります 。あらためてコミュニケーションって興味深いし、難しいと感じることがありました。派手な夫婦喧嘩をしたわけでも、仕事の関係者ともめたわけでもないですけど。
コミュニケーションを結果重視的な立場から考えると、受け取った人がどう感じたか(何を思ったか)が重要になると思います。
プロセス重視的な立場に立てば、なぜそれを伝えようとしたか、何を伝えたいと思っているか、どう伝えるか、がとても大事です。
この両者には大きなギャップが生まれる可能性があります。「わざわざありがとうございます」というメールの一文も、当事者同士の関係性について、また経緯を含めて考えると、受取手が感じることと、送り手が感じることが真逆になる可能性すらあります。
- そんな細かいことまで気にかけてくれて、お手数をおかけしました。助かりました
- まあわかっていたけど、細かく注意深くチェックしてくれたんですね
面と向かって表情を見ながら話せる時と、メールでやりとりする場合も異なる結果を生み出します。表情や身振り手振りで感謝の気持ちを伝えたい、と思いながら言う場合と、ただ文字で伝える場合がそうです。
面と向かうと、相手に伝える情報が言葉だけではなく、視覚(表情、呼吸、感情、身振り手振りなぢ)も含まれるので、より密接だったり発信者と受信者の認識のギャップを少なくできるような気もします。
口から発せられる言葉が形に残りませんが、いったん出してしまうと消せないですし、引っ込められません。相手に誤解をさせてしまうと、再度説明して、訂正して誤解をとくことは安くありません。
自分で言葉を発する時、コミュニケーションを取る場合は、相手がどのように受け止めるか、相手の立場や気持ちを思いながら、に努めようと思います。
女性にニコニコされると単純に楽しいし、ポジティブに受け止めてもらえていると感じる単純な拙者は、ホンネとタテマエの識別も危ういと思っています。誠意を尽くして相手を思いやる、が拙者の取れる戦術や生き方だ、と再認識です。
家族だから、親戚だから、友達だから、同僚だからという関係性に依拠しすぎたコミュニケーションではなく、やはり相手を思いやる言動が大事、かと。
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