フォロワー

2021-01-26

損得ではなく、可能性の大小でもなく

[No.2733]

仕事でもプライベートでも、何かを選んだり、決めたりすることはありますが、ただ比較するだけでは決められないこともあります。ニットのキャプを買うにも、値段、自分の好みもありますし、それぞれの良さもあります。値段も3年間くらい使うと考えるか、今年だけと考えるかでも、評価のスケールが変わりますし。

仕事で何かを決めたり提案するとなると、論理性や合理性も当然必要ですが、メリットやデメリットを書き並べても、結論が出ないことも少なくありませんし、書き並べて整理するだけで判断できるのであれば、決断は簡単です。

子供の進学を考えた場合は、特に顕著です。子供の学力は自分で何とか頑張ってもらうとしても、いい学校って何だろうと最近考えます。

「いい」って何? チビ子にとっていいのは、何だろう?どんな経験をしたいか?どんな刺激を受けたいか?いい友人や先生に囲まれるといいな、家から通学しやすいといいな、と。

いい学校に行っていれば、いい友達に恵まれて、いい大学に進学して、いい会社で安定した生活を送ること、が目指す規範のように話された時代もあったと思います。家族でも話しますけど、まずチビ子がどんなことをしたいか、目指したいか、興味があるか、が大事ですよね。小学生に決めることはできないかもしれないし、成長とともに変更するかもしれないけど。

この方が得する、実現する可能性が高い、という視点よりも、まずは自分がどうしたいか、と思うのですが、これは拙者がこれまで自分で決めてきた考え方です。チビ子はチビ子で考えていくのだとすると、拙者や妻の役割とは何か? 応援して一緒に頑張るだけ、ですね。


0 件のコメント: