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2024-09-10

読んだ本(2024-#73):正欲

[No.3526]

#73「正欲」朝井 リョウ

表紙のデザインを見た時に、何を意味しているのだろうかと「?」が頭の中で出たまま読みました。

五体満足に生まれ、両親の愛情を受けて、朝昼晩の食事を摂って、学校に通い、友達と仲良く遊び、進学し、人生のパートナーと結婚し、子供を生み、育てていく、特別特徴のある出来事でもないですが、これらを人生のステップや区切りのスタンダードや標準とすること、「普通」と考えるのは、拙者の中で違和感がない、よくあることだと思っていました。

自ら望んで選択できることもあれば、自らが望んでも実現しないこともあるし、自らが望まないこともあるし。

どんなに仲がいい友人や恋人であっても、相手の事が分からない事、言わない事や言えない事もあるのは、いわば当たり前だと気が付きます。それが家族でも、心の中の葛藤の断片は、言語化できなかったり、自分だけにとどめておこうと思う事だったあるでしょう。

そんな事が、社会生活や近しい人達とのコミュニケーションでハードルになったり、することもあり、ダイバーシティーな社会を推進するためには、ハードルではなく、どう受け入れるかを考えるべき、という視点が、今の正解だと思います。

でも難しいです。マイノリティーを受け入れる、がダイバーシティの本質でもないような気がするのです。マイノリティーな性向や特性を持つこと自体は、完全なる本人の自由です。マイノリティーな性向や特性を、言いたくいない時には言わなくていい、も当たり前なことです。

いい年してまだ結婚していないのか、とか、結婚してから一人前だ、というような言葉も拙者も受けた事があります。特に傷ついたり不快になりませんでしたが、傷つけるには十分な言葉のようにも思います。

マジョリティの横暴が、必要以上にマイノリティであることを晒すことは、社会生活では起こりますが、実際に刑事罰や民事訴訟が起こるまでもないけど、当人はとても傷つく、ということを、拙者の周囲では起こらないようにしたいです。どうすれば起こらないようにできるか、周囲の大事な人を守れるかは、まだわかりません。

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