公共の建築物に勝手に落書きするのは、器物損壊罪だったり、いたずらな迷惑行為になりますが、アートとして評価されたり、高額で取引される事になるとは、描いてきたバンクシー本人も意図していたのでしょうか。
社会的弱者をネズミに例えているとも解される、ステンシルアート「ラット」。世界中のあちこちに出没するネズミは、自治体によって消されたり、器物損壊罪として刑事事件になったり、大事な芸術品として守られたり、壁を切り取られて売られたり、といろいろのようです。
匿名の作者バンクシー、いろんな作品を見ることができました。どう解するかは見た人の自由ですけど、強烈なエネルギーと恐ろしいほど冷静な視線を感じました。社会制度やビジネスにおける強権に対して、皮肉とも言えますけど、表現の自由の許容される?振り幅いっぱい、あるいはちょっと振り切れたところで、想いを突きつける感じ、ですかね。
何かメッセージを表現する場合に、何かの例えに擬えるのは、とてもすごいテクニックと塾考があってのことと思います。いくつか考えられる例えの中から選ぶことこそ、メッセージだったり、想いだったり、センスだったりするでしょうが、女王や議会を猿人で表現するあたり、帝国主義、産業革命、経済の低成長を経てEUを離脱したという、決して公式には評されることのない愚かさ、うわべの軽薄さを強烈に、そして冷ややかに、でも熱く表現しているように感じました。
ベトナム戦争には多面的な事情や思惑があってのことで、歴史的評価は難しいとは思います。でも、一人一人の子供、ひとつひとつの家族を視点で考えれば、たった一枚の絵で表現されていると思いました。他国に戦争で攻め込まれて、子供が焼け出されて泣いている、残念ですが、まだ地球中のどこかではまだ起き続けています。大人が知恵を絞って、未来ある子供を守れないでどうするんだ、と思います。
社会制度やビジネスにおける強権を持つ者は、やはり責任があると思います。SDGsとかサステナイリティという表現もいいですけど、「未来の子供や孫に笑顔を」と思えば、もっと当事者意識を持って世界の平和や環境の問題に取り組めるのか。
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