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2024-06-26

読んだ本(2024-#51):アマテラスの暗号(下)

[No. 3476]

#51「アマテラスの暗号(下)」伊勢谷 武

京都の碁盤の目のような街並み、渡来人とはどこから来た、どんな歴史や文化を持った人々だったのか、太秦(うずまさ)や祇園(ぎおん)という和ではないような音の響き、卑弥呼(ヒミコ)は為政者で呪術者である女王なのに、なぜ卑しい(いやしい)という字があてられているのか、ヤマトとは何に由来する言葉なのか、旧暦10月神無月に、出雲だけ神有月と呼ばれるのはなぜか、伊勢神宮の外宮と内宮、神話ではなぜ最初に淡路島を創ったのか、芝山古墳から出土した埴輪は山高帽をかぶり、顎鬚をたくわえ長髪なのは何を表しているのか、三種の神器とは何か、いろいろ拙者がなぜだろうと思っていたことも、盛り込まれていて、とても面白かったです。

確かに、文字のない時代について考察するのは困難ですが、いろんな視点や方向から議論したり、推察するのは意義あると思います。

高名な歴史研究家が表明する考察も、何かの断片的な記録を繋げて推察している、とも言えますし、このような著作を根拠がない、と断じる必然性を声高に言うよりも、こんな視点もある可能性を受け入れた方が、豊かな発想を楽しめます。

古事記や日本書記も、当時の為政者の意向で書かれたことは否定できないと思われます。事実が書かれている、と受け止めるよりも、当時の為政者にとって正しいと考えられることが書かれているのだと思うのです。

一方、地名や神社の名前は、何かの出来事や意味を含んだ由来を示すことも多いと感じますので、当て字から歴史的事実に迫るのは簡単ではないとは言え、歴史的事実に迫れる可能性はあると思います。

そんな想像をしながら読む楽しみは、学会で議論されている主流派が何かとは、別にあっていいと思います。

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