実家から歩いて数分のところにある古墳群は、よく遊んだこともあって、横穴式円墳は身近な存在でした。 6世紀後半~7世紀の築造だそうです。どうやら前方後円墳もあるようでしたが、藪だったりして拙者自身が確認できず、また小型という事もあり、大きな前方後円墳への興味を持っていた幼少期でした。
今回の帰省で驚きがありました。全長66m、後円部の高さ7.3mの前方後円墳が、クルマで10分の国道そばにあることを発見。名前や存在は聞いたことがあったのですが、日常生活の視線では、単なる高台の木の茂みにしか見えないので、実際に現場に行ってその大きさに驚きました。
今は周辺を木に囲まれていますが、高台にあり眼下に街や海を見下ろす場所にあります。6世紀初め頃の築造とされています。
帰省を終えてWebを見ると、もっと実家の近所に、さらに大きい前方後円墳があることを発見。何年も見慣れた景色の山の中に、実は古墳があるとは。なんで近所の大人は教えてくれなかったんだろう。全長88m、後円部の高さ7m と大きいです。墳形・出土埴輪から4世紀末から5世紀初めの築造と推定されるとのこと。この前方後円墳も、確かに高台です。今の生活視点では、山の木々に埋もれていますので、拙者が実家に住んでいる時には、古墳があると意識したことなかったです。
西暦300年代後半に、もう近所には人が生活していたことに驚きです。日本で盛んに古墳が造られた3世紀から7世紀ごろまでを指す古墳時代と呼ばれるおよそ350年で、なぜ/どうやって古墳が伝播していったのか、とても興味があります。渡来人?紙も文字もないから設計図もないはずなので、なぜ同じような建造ができたのか?どのくらいの人数で作ったのか?
高句麗などからの渡来人によって古墳が造営された、という一説を社会の授業で聞いた記憶もあるのですが、韓国で発見された古墳には、日本の古墳よりも古いものがありません。また日本の前方後円墳が直線と曲線で構成されるのに対し、韓国の古墳の方が、より曲線的です。
350年間の間に、九州北部、山陰地方、中国山地の山間、瀬戸内、神戸や奈良、四国、そして関東の多摩川沿いや群馬の山中などの、日本全国に古墳がどうやって伝播したのか、不思議がいっぱいです。古墳の専門書、読んでみようか。
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