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2024-09-20

読んだ本(2024-#76):新・日本の七不思議

[No.3535]

#76「新・日本の七不思議」鯨 統一郎

デビュー作品「邪馬台国はどこですか?」を一気読みし、続編があると知って購入しましたが、実は本作は3作目で、2作目は「新・世界の七不思議」だったとは。

まあ気にせずに読み始めましたが、一気に読みました。

原日本人はどこから来た?誰?

邪馬台国、柿本人麻呂、空海、本能寺の変、写楽は誰?など、歴史的関心がくすぐられる内容が盛りだくさんです。

歴史研究家の成果を軽んじるものではありませんが、文字や物理的な証跡で、縄文時代や万葉集の時代のことを考察するのは、確かに容易ではありません。書物に書かれていることが、事実かどうかも確認できないので、書かれたままを受け入れるか、書かれていることから解釈を拡大するしかないです。

空海、弘法大師にも興味を持っていました。あの昔に唐に渡り、短期間の間に現地の言葉で修業し、密教の第七祖である唐の長安にある青龍寺の恵果和尚より、阿闍梨僧位を半年間の修行で授けられた。20年の予定を修行を2年間で終えたなど、ミラクルです。

あの時代に、船に乗って唐に行って、現地の人とコミュニケーションして、修行するだけでもとても大変だと思います。

日本のあちこちにも弘法大師ゆかりの場所やエピソードもありますので、どれだけ旅に出ていたのだろうとも思います。どこまでが事実で、どこからが伝承か、興味は尽きません。

万葉集の不思議は、「人麻呂の暗号」を読んだ頃から興味がありました。なぜ歌集を編纂したのか、目的や意図があるはずだと思います。

スマホで写真を撮って、いろんな人に見せたりできない時代に、絵を描いたり、詩を書いて残すという事は、大きな強い目的や意図があったと思います。ルーブル美術館に行っていろんな彫刻や絵画を見た時も、示したい威光、社会に伝えたい不安、不満やメッセージを拙者なりに感じました。

遠くまで来て都や故郷のことを懐かしく思う、例えば、朝廷の指示で編纂される歌集が、本当にそれだけのメッセージであれば、歌として選ばれない気がするのです。何かの威光やメッセージが埋め込まれていると思うのです。

物理的に、科学的に証明されないことを軽んじるつもりはありません。信じる人を軽んじるつもりはありません。事実が何かと、自分が何をどう考え、信じるか、人にどう伝えるかは、別々な方がいいと思っているだけです。

ちなみに、卑弥呼が治めていたとされる邪馬台国は、九州北部でもないし、奈良などの畿内でもないと思っています。倭国、奴国、卑とか邪とか、ネガティブな意味を含む漢字があてられているのは、漢書地理志、後漢書東夷伝などが、見下している、よくわからない未知のというニュアンスがそのまま書かれています。

そういえば、なぜ我が国は、日本と呼ばれるのでしょうか。いつから? にっぽん? にほん?国名だって、歴史的経緯や事実を知ろうとすれば、いろんな興味関心につながります。歴史的な事実や正解は何か、たどり着けなくでも、たどってみることはやっぱり意義があると思うのです。

2作目の「新・世界の七不思議」も読むだろうな、拙者。

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