[No.3300]
トーテムポールの起源は明確ではないが、18世紀後半になり、白人が北アメリカ北西沿岸部をひんぱんに航海するようになったときには、すでにその存在が確認され、記録、報告されている。しかしながら、それ以前のトーテムポールの存在については確認することができない。その理由としては、太平洋岸北西部は雨の多い温帯雨林が広がるため木材が腐食しやすく、考古学的な調査によっても18世紀より古いものが発見されないためであり、また、北西沿岸の先住民は、トーテムポールは建立することに意義があり、保存や維持修復することには意義はないと考え、ゆえに、自然に朽ちるにまかせ、その地に返すものとしているからである。白人が一帯に進出し、とくに19世紀後半から20世紀にかけて、博物館などで保存するために収集が始められ、今日、それらを世界各地の博物館で見ることができる。----------- wikipedia より
小学校の校庭にあったのを憶えています。木製の電信柱から、コンクリート製の電信柱に替える時期に、木製の電信柱を使って卒業制作したらしい、ともいろんなWEBで書かれているので、拙者の小学校も卒業制作だったんだと思います。
今回バンクーバー滞在中にも、いろんなトーテムポールを見ました。大きなもの、彩色が鮮やかなもの、古いもの、飾りが多いもの、彫りがシンプルなもの、いろいろです。
何のメッセージだろうか、と考えながら見るのが好きです。家の柱、墓標、ある人の功績を示すなどいろんな目的もあったようですが、素直な気持ちがメッセージになっているようで、見ているとなんとなくホッコリします。実物を見ると、迫力あるのですが木肌の優しい感じと彩色のバランスがいいです。立派なトーテムポールを、長く後世に残したい気持ちになりますが、土に還ることをよしとするのが、トーテムポールの考え方のようです。ファースト・ネーションズ(アメリカ北西部先住民)の考え方、アジア的な宗教観や自然観も感じます。自分自身の実現した何かを、知人に紹介する、という意味でとらえると、拙者のトーテムポールはどんなトーテムポールになるかな、とか妄想していました。
きっと誰かに、何かの役に立った、ということを記せるような人生にしていきたいものです。何かと戦ったり、困難に負けずに克服したり、家族を含め、多くの人を少しでも笑顔になってもらえることが、人生の価値や生きがいではないか、と昨今思うのです。今回は、キャピラノ吊り橋の売店で出会ったトーテムポールを我が家にお連れしました。またヴィクトリアのロイヤルミュージアムのショップで見つけたトーテムポールの解説本も購入しましたので、これからトーテムポールについて、いろいろ考察してみたいと思います。
勉強を頑張る、年の離れた友達にも、トーテムポールの拙者購入のミニ版を送りました。