[No.3651]
#44「森見登美彦の京都ぐるぐる案内」森見登美彦
[No.3651]
#44「森見登美彦の京都ぐるぐる案内」森見登美彦
[No.3940]
#59「パズルと天気」伊坂 幸太郎
気づかないうちに、伊坂幸太郎さんは、最も拙者が作品数を多く読んでいる作家さんになっています。
ハッピーエンド、バッドエンドの両方にも言い切れない作品も多いですが、なんとなく爽快な、ちょっとだけ晴れた気分になりつつも、あれだけ荒れ狂った河川が、今日は穏やかに流れるという日常の中に突然出現する非日常な出来事や人間の関係性に、読み始めは戸惑う作品もあります。
この本は短編集です。
「竹やぶバーニング」を読みながら、万城目学、森見登美彦の作品と同じような世界観を感じたのですが、あとがきを読むと、森見登美彦さんからのお声がけで書いた短編とのこと。伊坂幸太郎、森見登美彦という拙者の好きな作家さん同士が、繋がっているようで不思議な気持ちになりました。
モテ男の友人が、新婦に不審がられながらレストランウェディングを企画した結婚パーティの話の「weather」、予想しなかった結末に涙、でありました。
#48「四畳半神話体系」森見 登美彦
久しぶりの森見登美彦作品、森見ワールドを堪能しました。この表紙のイラストは、中村佑介さんの作品だそうです。中村氏のイラストを見ると森見作品の事を思い出すくらいに、私の中では結びついています。
さて物語は、京都の大学生の阿呆なる日々の話で、特に意味のある起伏がある訳でもないのに、ついつい読んで楽しいのは、無為なる大学生活の日々を送った事がある拙者だからか。
京都の馴染みの地名が出ると、町家の路地の暗がりとかも思い出します。
四畳半、阿呆の無為な日々、パラレルワールドが組み合わさるとおもしろい、という発見です。とても誰にも真似が出来そうにないです。
#11 「恋文の技術」森見 登美彦
インターネットもスマホも利用も日常的な今は、誰かに何かを伝えようとすると、すぐに、今も伝えることが技術的には可能になりました。拙者のように、父と毎晩スマホのビデオ通話ができれば、表情も知ることができます。
年賀状の発売枚数が減少している、と聞いて久しいですが、手紙という伝達手段は残ると思っています。企業間の挨拶状的な年賀状は、減るとしても。
面と向かって話す、メールで伝える、手紙で伝える、目的や効果は異なるものですね。
それぞれに意義あると思います。
今も手元に置いている手紙、消せないメール、忘れらない面と向かって会話したいろんな出来事、いろいろ増えていくのは、嬉しいことと思います。
先日、約20年ぶりに最初の勤め先での同期にメールを送りました。年賀状のやり取りを続けていましたが、不意に声をかけたくなったので。一緒に会社の不条理を妬み、容易では装置の据付や調整を担当してもらい。。。メールでもよかったです、彼とまた近況を報告しあえて。
久しぶりの、森見登美彦作品です。やはり一気読みでした。京都の大学から能登半島に研究拠点を移し(移され?)た間の、友人、京都の研究室の先輩女性、妹、家庭教師していた時の教え子、大学の先輩である森見氏との往復書簡です。後半は伏線を回収できて、さらに面白いです。
[No.4002]
#20「新釈 走れメロス 他四篇」森見登美彦
京都の無為な日々を阿呆に過ごす大学生を取り上げた森見登美彦作品。馴染みの地名が出てくることも好きな作家さんの理由の一つですが、今回の作品は、山月記、藪の中、走れメロス、桜の森の満開の下、百物語を、森見風の舞台設定で書かれております。まさに新釈。
それも、登場人物の面々が、それぞれの短編で主人公となる短編の繋がりと、短編それぞれの特徴がものすごいハーモニーになっています。
走れメロスのキーワードは、桃色のブリーフです。
[No.4044]
#42「夜行」森見 登美彦
チビ子には以前言われていました、同じ作家の作品を続けざまには読まない方がいい、と。
森見登美彦さんはお気に入りの作家さんの一人です。今までもいくつか作品を読んできました。
京都に住んだことがある、京都にはあまり滞在したことがない、の差で、森見作品の受け止め方や、気持ちの入り込み具合が異なると思います。
拙者は前者ですが、京都の街中の夕暮れの影、町屋の入り組んだ路地には、何かが起こりそうな、何かがいそうな感じするんです。
少し蒸し暑い夏に夕暮れ、ヒグラシの鳴き声が聞こえる仏光寺とか、いい気分で酔いながら2軒目に向かう時の高瀬川から少し入った町屋の路地とか、喜怒哀楽の全てが絶妙なバランスである、そんな印象を持った記憶があります。
平安の時代からのいろんな歴史や出来事、たくさんの寺社仏閣があるからですかね。
学生時代の仲間と鞍馬に出かけた10年前に、突如姿を消した女性。そのことの記憶を持つ大学時代からの仲間、それぞれの生活に、なんとなくつながりを持つ出来事が起こり。。。
あまり書くとネタバレなので書きませんが、話の進行、登場人物達の遭遇する出来事の時間的な前後関係が拙者には把握しづらく、読むのが少し難しいと感じました。
今日この日の今を生きている我々は、実は別々の時間空間に生きていて、偶然知り合ったり会話したりしていて、時間空間が合わないと会う事もない。時間空間が合うということは、同じ時間を過ごしてきたという訳でもない、と感じてきて、少し頭がクルクルしてきました。
そもそも時間とは何か、が拙者が分かっていないことにも気が付きました。時間って、何だろう??
#41「熱帯」森見 登美彦
アリババと40人の盗賊、シンドバッドの冒険、などのおとぎ話の素といえる、アラビアンナイト:千夜一夜物語ですが、wikipediaを見ていろいろ知りました。
ーーーーーwikipediaより
昔々、サーサーン朝にシャフリヤールという王がいた(Shahryār:物語上の架空人物)。王はインドと中国も治めていた。ある時、王は妻の不貞を知り、妻と相手の奴隷たちの首をはねて殺した。 女性不信となった王は、街の生娘を宮殿に呼び一夜を過ごしては、翌朝にはその首をはねた。こうして街から次々と若い女性がいなくなっていった。王の側近の大臣は困り果てたが、その大臣の娘シェヘラザード(シャハラザード、شهرزاد)が名乗り出て、これを止めるため、王の元に嫁ぎ妻となった。 明日をも知れぬ中、シェヘラザードは命がけで、毎夜、王に興味深い物語を語る。話が佳境に入った所で「続きは、また明日」そして「明日はもっと面白い」と話を打ち切る。シェヘラザードの傍らには、妹のドゥンヤザード(英語版)がいて、横から「話がおもしろい」と盛り上げ役を演じる。姉妹による作戦によって、王は話の続きが聞きたくてシェヘラザードを生かし続けて1000日。ついにシェヘラザードは王の悪習を止めさせる。
以上が、物語の大枠であるが、王の悪習を止めさせたとする結末は、後世のヨーロッパ人が追加したものである。1704年に「千一夜」を初めてヨーロッパに紹介したアントワーヌ・ガランが翻訳に使用したアラビア語の写本には結末はない。282夜の話があるだけである[。
ーーーーー以上、wikipediaより
物語が終わることはなく、1,000も話があるわけでもなく、その後トルコやフランスに渡る時に、いろんな話が継ぎ足されていった、という経緯もあるようです。決して終わることがない物語です。
森見登美彦作品が好きですが、この本はなかなか読み進めるのが難解でした。そんなことあるわけないでしょ、とついつい思うような場所や情景の展開も、読んでいくうちに拙者自身もそんな場所や情景にいるような錯覚を楽しみますが、この作品は難しかった。
誰も最後まで読んだことがない本「熱帯」。なんとなく記憶を持つ者はいるものの、いつの間にか所有がなくなったり、誰かの手に渡ったり、研究者と触れ合ったり、異次元?過去?に行き交ったり、登場人物(私)の存在を見失いそうになったり、作者のワールドが楽しめませんでした。
自分が見ている物や重ねてきた経験も、何かとのつながりと感じたり、実際の時間も拙者と誰かの時間が同時並行で発生していて、どこかで交わったり、そして離れたり、再会するまでに過ごした時間や経験の密度も異なっている、とか考えると、自分の人生自体が終わることのない物語、誰かとどこかでつながったり別れたりして、場面や情景も変わる誰も最後まで読んだことがない「熱帯」そのもの、とも感じました。
学校入学して知り合って、サークルとかゼミとかで仲良く過ごし、その後別れて疎遠になったり、急に再会を喜んで付き合いが再開したり、会わなかった時のお互いの出来事を知って驚いたり。
今になって、親から昔話を聞いて知ったり、そんなことの連続です。最近も、父から40年前の話を聞きましたが、父はこれまで言ったつもりだったこと、いろんな理由で言わなかったこと、いろいろのようです。
最近会えていない友人、これまでお世話になった先輩、後輩や上司とお会いして、近況やこれからのことを話してみたり、聞いてみたくなりました。
読後すぐは??な感じなのですが、こうやって感想を書いてみると、じんわりとこんな気持ちになっている拙者自身に気が付きました。
京都の街並みを想像しながら、鬼や妖気が駆け巡ったり、飛び交ったり、現実か無想かの狭間を心地よく読み進むのですが、今回のペンギン・ハイウェイは、拙者の想像力では、舞台を捉えきれないまま読み終えてしまいました。
ペンギンとお姉さんの関係は読み進めれば見えてくるのですが、お姉さんは何を主人公に伝えたのか、伝えたかったのか、お姉さんって??という消化しきれない気持ちです。
実は、アニメ映画化されているということを知り、これは映画を観てみれば分かるかも。
ハリーポッターを本で読んだ時も、なかなか頭の中で物語の舞台を想像できなくて、例えばクィディッチ(英語 quidditch)という架空のスポーツなんて、何をどうしたら得点で、どうなったら勝負が決まるか、映画を観るまで???でしたし。
お姉さんが、海を欲しているのは何となく感じます。拙者、田舎の海のそばで育ちましたので、時々自分でも説明つかないのですが、波の音を無性に聞きたくなったり、来ては返す波をボーっと見ていたい気持ちになります。
#24「美女と竹林」森見 登美彦
本を読むことで知識や情報を得て、仕事に活用したいと思っていましたし、そのように役立たない本であれば読まなくてもいい、と思っていたのは、約20年前ですかね。
その当時の拙者にとってみれば、この本は読まなくてもいい本だと思います。
読んでみましたが、森見登美彦ワールド全開で面白かったです。些細な日常の断片を、これでもかっというぐらいに深掘りし広げて、そうくるかというくらいに軽快に捻った結果の妄想。やっぱりいい。
美女とはあの女優さんのことだったのか、と思いました。
[No.3691]
#54「きつねのはなし」森見登美彦
少しの間住み、長く仕事の場でもあった拙者にとっては、京都は思い出もあるし、思い入れもある街です。
1600あると聞かされていた寺社仏閣が埋もれるように、町屋の家々があったり、細い路地の夕方や夜の影には、「陰」、「妖」や「邪」すら感じるような気になりました。何かを見たわけではないですが、平安京の時代、応仁の乱、室町幕府の頃からの積み重なった「怨」や「恨」もあるように思いますし。
森見ワールド、今回も引き込まれました。人混みの中にいるキツネのお面や暗闇の路地を蠢いて、取り憑く存在の「何か」。
必要以上に心を許して油断して接する危うさ、有象無象の存在が行き交う都で生活する中に潜む、蠢く「何か」は、やはりあるような気がします。
骨董屋でアルバイトする学生、学生の大学の先輩、先輩の彼女、蔵を持つ骨董屋の馴染み客、それぞれの話で登場する「何か」は、何だったのか。
目に見えるだけが全てではなく、今だけが全てではなく、いろんな「何か」に影響を受けながら毎日の生活が繰り広げられ、何があろうとも、明けない夜はなく、止まない雨はない。そんな当たり前に潜む「何か」に思いを馳せると、いろんな人や今に感謝できる気もしました。
これまでの森見ワールド作品と趣は違う気もしますが、やはり一気読みでした。
#46「宵山万華鏡」森見 登美彦
京都で生活したことがある拙者は、碁盤の目のような街並みの夕方の影に、何か「妖」なモノを感じる感覚が少し分かります。平安の時代からの都であり、多くの寺社仏閣があり、いろんな戦があって、今に至りますので、いろんな想いや情念も繰り広げられたと思うと、夏の湿気もいろんな物を感じるのであります。
祇園祭は、四条通にはよくこんなに人が集まるな、と思うくらいの人だかりですし、縦の室町、西洞院などの通りには、山鉾が飾られて、小さい通りなのに、行き交う人が途切れない、そんな街の中にも、至る所に影や行き止まりもあり、確かに非日常の「妖」や「陰」や「幻」があちらこちらにあります。
森見ワールドの、京を自由奔放に満喫する酔狂な面々も活躍する本作ですが、祇園祭が過去とのパラレルワールド、タイムトンネル、そんなこともあるかもな、という気持ちになります。あれだけの人混みだと、人ではない存在も跋扈しているのではないか、と思えてきます。
人混みでは、子供や家族とはぐれないように、手を離さないように、暗闇には行かないように、と怖がりな拙者は思うのであります。