[No.3475]
近くからアジサイ路を下から仰げる場所を見つけたので、写真を撮ろうとしたら、逆光を樹木が遮ってくれて、印象深い写真になりました。
この写真の真ん中に、光の柱みたいな物が写っています。昨日になってようやく気が付きました。
穏やかで、静けさの中にもパワーを感じることが出来る場所でした。名刹や古刹を訪れることが楽しめるようになりました。お参りする時の願いはいつも同じです。
[No.3475]
近くからアジサイ路を下から仰げる場所を見つけたので、写真を撮ろうとしたら、逆光を樹木が遮ってくれて、印象深い写真になりました。
この写真の真ん中に、光の柱みたいな物が写っています。昨日になってようやく気が付きました。
穏やかで、静けさの中にもパワーを感じることが出来る場所でした。名刹や古刹を訪れることが楽しめるようになりました。お参りする時の願いはいつも同じです。
[No.3474]
#50「旧友再会」重松 清
登場人物が過ごす日常的は、拙者の年代とも重なることもあり、状況描写には他人事には思えない感覚を覚えたままで読み終えました。
自身の健康、家族や仕事の現状については、本当に何でも話せそうな友人以外には話さないですが、何でも話せる友人もそんなにいるわけではなく、みんながそれぞれ抱えているのが実情と思います。
拙者、中学や高校の同窓会に参加することもなく、ごく少数の友人との付き合いがあるだけです。大学以降の友人と付き合いが続いています。地元を離れて進学し、都会で就職して働くようになると、盆正月に帰省する以外には地元に帰らなくなるし、付き合いも少なくなることも、しょうがないと思いつつ、さみしいと感じるのも正直なところ。
会って話せば、何年も前に急に戻ったように共感できることがある反面、離れたいた年月や環境の違いもあって、分かり合えないこと、賛同できないことも多くあるものです。
4年前に、30年ぶりに再会した高校時代の友人は、高校時代は3年間同じクラスで、毎日弁当を一緒に食べていました。彼は、当時から持っていた夢を実現した仕事をしていました。そのことをすごいと思ったことを伝えることが出来ました。
また、同じ業界で働いていた時に、声をかけなかったことを詫びたりしたのですが、彼は、優しく、会えない時は会えなくてもいいし、こうやって会えればいいんじゃない、と言ってくれたのでした。
仲良く会うだけが友人という訳でもないですし、離れていても会えなくても、思いを持つだけでも友人です。会った時にお互いの今を気遣い合える、お互いの良きことを喜び合える、お互いの苦しさや悲しみを分かち合える、そんな友達はやっぱり人生を豊かにしてくれます。友人に会った時に楽しめるように、健康に気を付けて、仕事を楽しんで頑張り、家族のためにガッツを出していこうと思います。
[No.3473]
「アマテラス暗号(上)」伊勢谷 武
拙者、中高生くらいの時は、多くの人が信じないけどもしかしたらそうかもしれない、という興味には、生来のあまのじゃくな性格も作用して、ものすごく興味を持つ、という日々でした。雑誌「ムー」を読んでいました。ヒバゴン、出口王仁三郎、青森のストーンヘンジやキリストの墓、など興味深いトピックはいろいろありましたが、中でも、ユダヤと日本の関係には驚きでした。神道に出てくる六芒星を発見した時、自分でもあらっと思ったものです。
高校の歴史の授業で、古墳から出土した山高帽、鼻の高い、独特の髪型の埴輪を見た時に、古墳時代に南蛮人がいたのか、と感じたのは、素直な気持ちです。
その後「人麻呂の暗号」も面白く読みました。学会での評価は芳しくないようでしたが、いろんな視点や側面で、歴史を考察すること自体は、いいことだと思います。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」シリーズも好きです。そして、先日の書店ぶらぶら時間に見つけたこの本、激しくはまっております。
神道、中国や朝鮮からの渡来人、古代天皇家の系譜、明治時代の神仏習合、戦後の天皇現人神の否定、これらが見えている歴史だとすると、ユダヤ人と日本人の歴史的な関係の有無、暗躍する結社などの見えていない歴史の両方を楽しめます。
この本を、ミステリーやフィクションとして読むか、歴史研究書の役割も含むとして読むか、意見が分かれるでしょうが、拙者はただ面白い、の気持ちで楽しんでいます。
京都の太秦(うずまさ)の地名、太秦広隆寺の国宝仏像の花器に菊の御紋、拙者自身の仮説も存分に妄想を広げつつ、さあ(下)を買いに行ってきます。
[No.3472]
生麺は、乾麺に比べて茹でた後にも、麺が伸びる感じが少なくて、おまけにモチモチした触感を味わえるように思います。
カルディの生麺は、手軽に買えるお値段ですし、美味しいから気に入っています。
週末の父ちゃんパスタ、チビ子のリクエストにお応えしまして作りました。
ムキエビもチキンも、近所のスーパーでお手頃で美味しいですし、タンパク質も摂れるメニューになります。今日は塩加減もいい感じで、家族からも評判でした。
暑い日と気温が上がらない日の不規則な繰り返しで、バテそうです。きちんと食べて、しっかり寝る、で気を付けます。
[No.3471]
久しぶりに休日のランチを家族そろってレストランで楽しみました。妻もチビ子も絶賛のフレンチですが、拙者は行ったことがなかったのです。運よく予約が出来たみたいです。
店内はすっきりと広く、隣のテーブルとも離れていて素敵な空間です。
トウモロコシの冷静スープ(コーヒー風味もあり)、あさりと白身魚のグリル、そしてお肉のお皿と全部が美味しいです。我が家は、外食率は低いかもしれません。家で食べるのが好きだし、どうせなら気に入ったお店で食べたいという、食いしん坊だからかもしれませんが、嬉しいことにお気に入りのお店が一つ増えた気がします。
[No.3470]
#48「アナタはなぜチェックリストを使わないのか」アトゥール・ガワンデ
この本は、2年くらいに前に読んでいて、印象に残っていました。これから提案資料を作ろうとした時に思い出したので、拙BLOGで読んだ時のメモを見ようとしたら、つぶやきも叫びもない事に気がつきました。ということで、再読しました。
ビジネスの現場で、「チェックリスト」というツールはよく出てくるものです。現状把握、業務デザインや改善などでは、必ずと言っていいほど登場するキーワードです。
拙者がこの本を読んで強く感じたことの一つは、救命医などの高度な専門性や経験を持つプロフェッショナルであったとしても、実は相当の数のミスやうっかりがやはり起きてしまう、という現実です。
電車の運転士や飛行機のパイロットが指差し確認をするのを、少し幼稚性のある行動にも感じたことがあるのですが、彼らは五感をフルに活用して、うっかりやミスをどう防ぐかを考え抜いて、指差し声出し確認をしているわけです。
これらが決定的なトラブルにつながる可能性は、日常的にあると思います。
チェックリストを作ろうと言われた専門家は、自分が軽んじられている、ミスを起こすと疑われている、バカにされていると感じそうな気がします。拙者もチェックリストを作ってと言われると、自分のナレッジをまとめてみて、と急に言われておいおい、と感じる気もします。自分なりのコツを明文化する、という感じもします。
リーダーシップが期待される立場であればあるほど、自分を含めたメンバーの暗黙知を、形式知にして共有することが大事ですし、パフォーマンスを向上するためにも有効だ、と今は思えます。
これから、ある提案にチェックリストの作成と利用を盛り込んだらいいだろうな、と思っています。提案先のメンバーにもこの本を読んでもらえると、いろんな対応策の検討に役立ちそうなので、ぜひ読んでみてください、と紹介しました。今度、デスクに持って行ってあげようと思います。
[No.3468]
「自分をいかして生きる」西村 佳哲
先日お会いできました人生の先輩でもあり、ご指導ご鞭撻をいただいた元上司とは、いろんなお話をさせていただくのです。拙者が虚飾を図る必要も全くないので、青臭いような疑問や想いも聞いていただいたりします。
何のために生きるか、なぜ働くのか、という話題でもいろんな経験やご意見もお聞きしました帰り道、紹介してもらった書店で見つけて買った本です。
著名なデザイナー夫婦である、チャールズ&レイ・イームズのデザインとは何か、を図で表現したトピックが印象に残りました。
[No.3467]
新しい業務担当チームの略称にちなみ、ミニカーを購入した後、都合がなかなか合わずメンバー揃って決起集会(飲み会)が出来ていませんでした。
ようやく出来る事になったので、オリジナルメンバーにミニカーを渡そうと思って入手しました。
このミニカーを、この台数購入する人は、そんなにいないと思います。
7月には2名くらい増員の予定なので、仕入れの手配をしておいた方が良さそうです。
[No.3466]
#46「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」三宅 香帆
拙者は、ここ10年くらいで、ようやく本を読むことが楽しいと思えるようになりましたし、ビジネス書だけでなく、小説、エッセイ、専門的な分野の本とかも読むことが多くなりました。
著者は、本を読むことの有用性や有意義であることを主張されるのだと思って読み始めたのですが、いうならば著者は、ワークライフバランスの重要性を、読書に充てる時間や意義を根拠の一つとして、合理的に説明してくれていると感じました。
明治、大正、戦前や戦後、高度経済成長期やバブル崩壊後における読書の娯楽性、教養としての捉え方、学歴主義への庶民的対抗措置としての読書、などの歴史的経緯と、労働環境や労働時間の推移を連動させて説明されていて、納得感がありました。
[No.3463]
#45「ウランバーナの森」奥田 英朗
ジョン・レノンがオノ・ヨーコと再婚後、長く日本に滞在していたことは有名なエピソードだそうで、夏の季節は軽井沢にも滞在していたようです。
「ウランバーナ」の意味が分かるまでは、ジョンの便秘の苦悩が長々と続くような話で、時折ジョンの若いころの尖ったエピソードや粗相の数々がフラッシュバックされ、便意がないままの苦しい日々が過ぎます。
ちょっと読みだるさを感じそうになったのですが、軽井沢の靄の中での出来事以降、物語は一気にこれまでのモヤモヤ、ジョンの葛藤が一気に語られることになります。
この作品は、奥田 英朗さんのデビュー作品だそうです。出版社への持ち込み、熱心な編集者の出版社内での売り込み、編集者の昇進に伴う書籍化の実現など、奥田氏にとってはとても思い入れのある作品であることがわかります。
読後の感想は、これまでいろいろお世話になった方々、もう直接話せなくなっても何か見てくれていることを感じます。やっぱり好きです、奥田 英朗作品。
読む前には、この表紙の紙で折った兜が、そんな重要な物になるとは思いませんでした。
[No.3462]
昨年もですが、今年も約束を果たしました。
お世話になった先生に、40年以上前に頼まれたことがあります。毎年、この日のことを、あの友のことを忘れないで欲しい、と。
今年も、この日のことを、あの友のことに思いを馳せました。[No.3461]
おそらく手のかかる面倒な部下だったんだと思います、拙者。当時は、熱い薫陶を受けたと言いますか、よく見ていただいたというか、叱られた上司がいらっしゃいました。
拙者の転職後は、年賀状のやり取りだけだったのですが、この時にお会いさせていただいて以来、年に一回くらいはお会いできております。
近況の報告や、今考えている事、これからの事などいろいろ話を聞いていただき、話をしていただきました。
美味しいニラレバ炒め定食をごちそうになり、おススメのアイスクリームも食べながら、いろんな話ができました。何かが見えた気持ちになれた後は、一人でぶらりと過ごしました。懸垂型モノレールの乗り心地を楽しみ、アジサイのきれいなお寺を散策。外国からの旅行客の多さに驚きましたが、近くに近所のお気に入りカフェの支店があることを思い出し、行きました。[No.3460]
#44「成功の法則100ヶ条」三木谷 浩史
インターネットで買い物なんてしないよ、と言われていた頃に楽天市場を創業したわけです。拙者、当時働いていた会社で、オンラインショッピングサイトを作ろうと提案したのですが、当時の上司や経営陣に、月額5万円の承認がもらえなかったことを憶えています。
既成概念、これまでの成功体験、常識と呼ばれる判断基準などが、将来に向けては期待するほどには有用ではない、ことを再認識します。
失敗から学ぶ、とは言うものの、実際仕事の現場では如何に失敗しないようにするか確認するのに時間を要したり、失敗しないと思えば現状維持や現状ちょいプラスで進めることも、なかば合理的な仕事の判断と捉える風潮は、いろんな会社のあちこちで見られると思います。
著者自身の体験に基づく話も多いですし、あまのじゃくな考え方や、どうにかなるさ、とか、しつこくやり抜こう、とするマインドセットが何か成果を出すためには必要、という考え方には、大いに賛同できます。
脳みそも、体もフルに使ってみて、諦めずにコツコツと続けるのであって、楽にビジネスで成果を出したり、言うだけで何かが変わるわけではなく、自らが考え続け、考え抜いてやり抜くのは、豊かな人生につながるいい考え方えだと思いました。
無謀だと言われ、決算にダメージを与え続けていると評されるモバイル事業。さあ、5年後にどうなっているでしょうか? マーケットはどう評するか、も楽しみにしておきます。
[No.3459]
部下に平成生まれがいることにも驚かなくなり、昭和のサラリーマン習慣が通じないことには驚きませんが、バブル崩壊後の就職戦線から生き延びてきた平成サラリーマン事情も通じなかったり、拙者が当たり前に使ってきた言葉に、質問を受けて、実際に説明に窮することもあります。その一例がポンチ絵です。
チームリーダーがいろいろホワイトボードに描いて説明してくれたり、概念の整理や何かとかにかの遷移や関係性を可視化するポンチ絵。拙者誰かに説明する時も、説明してもらう場合も、概念図やポンチ絵で知りたい、と思う傾向があります。
でも、ポンチって何かは知らずにポンチ絵という言葉を使っていました。
wikipediaによると、、、
漫画史における「ポンチ絵」とは、日本の明治時代に流行した絵の一種である。主に新聞や時事雑誌に掲載された、滑稽な風刺画で、現代で言う1コマ漫画の一種に相当する。大正時代には「コマ割り」や「キャラクター」などの革新的な手法を取り入れた漫画が「漫画」の名称で普及したため、昭和初年になると、「ポンチ絵」とは昔の古臭い単純な漫画のことを指すようになった。
そこから転じて、製品設計の現場において、工業製品の構想や設計図の下描きなどを単純な漫画のような絵で示したものも「ポンチ絵」と呼ぶ。
また、官公庁で使用される文書において、文書の内容などを解りやすく単純な漫画のような絵で示したものも「ポンチ絵」と呼ぶ。(「ものすごく複雑な絵のような何か」であることがネタにされるが、本来は解りやすいものである)
1868年(慶応4年)、江戸に在住する佐幕派武士である福地源一郎が『江湖新聞』を創刊。その第2号(慶応4年閏4月発売)において、福地は『ジャパン・パンチ』に掲載された絵を再掲載して解説している。これが「ポンチ」の語の初出である。
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複雑なことを、安易に、簡単に描いて理解や共感を最大化するコミュニケーション方法とも言えます。パソコンをパチパチ打ってではなく、シャーペンや万年筆でサラサラとポンチ絵を描き、共感や賛同を得られるようなビジネスマンになりたい、と常々思っております。
写真は、以前海外の役員との会話から、結局はこうゆうことですよね、という結論にしたくて、休憩時間にコーヒーを飲みながら、ササっと描いたメモです。とてもいい共感を得たので、感慨深いメモです。これからも、いいポンチ絵の描けるビジネスマンになろうと思います。
[No.3458]
#43「夜行」森見 登美彦
チビ子には以前言われていました、同じ作家の作品を続けざまには読まない方がいい、と。
森見登美彦さんはお気に入りの作家さんの一人です。今までもいくつか作品を読んできました。
京都に住んだことがある、京都にはあまり滞在したことがない、の差で、森見作品の受け止め方や、気持ちの入り込み具合が異なると思います。
拙者は前者ですが、京都の街中の夕暮れの影、町屋の入り組んだ路地には、何かが起こりそうな、何かがいそうな感じするんです。
少し蒸し暑い夏に夕暮れ、ヒグラシの鳴き声が聞こえる仏光寺とか、いい気分で酔いながら2軒目に向かう時の高瀬川から少し入った町屋の路地とか、喜怒哀楽の全てが絶妙なバランスである、そんな印象を持った記憶があります。
平安の時代からのいろんな歴史や出来事、たくさんの寺社仏閣があるからですかね。
学生時代の仲間と鞍馬に出かけた10年前に、突如姿を消した女性。そのことの記憶を持つ大学時代からの仲間、それぞれの生活に、なんとなくつながりを持つ出来事が起こり。。。
あまり書くとネタバレなので書きませんが、話の進行、登場人物達の遭遇する出来事の時間的な前後関係が拙者には把握しづらく、読むのが少し難しいと感じました。
今日この日の今を生きている我々は、実は別々の時間空間に生きていて、偶然知り合ったり会話したりしていて、時間空間が合わないと会う事もない。時間空間が合うということは、同じ時間を過ごしてきたという訳でもない、と感じてきて、少し頭がクルクルしてきました。
そもそも時間とは何か、が拙者が分かっていないことにも気が付きました。時間って、何だろう??
[No. 3457]
ボスカイオーラとは、キノコをたくさん使ったソースのイタリア料理の総称のようです。パスタだけでなく、スープにも使う呼称のようです。
我が家でボスカイオーラ(=木こり風)と言えば、パスタです。
玉ねぎを炒めて、しめじとエリンギを炒めて、ニンニクとアンチョビを入れて、シーチキンとトマト缶で煮込んで、溶けるチーズを入れるとソースは完成。
今日の週末ランチ、チビ子のリクエストで作りました。オリーブを多めに投入したこともあり、家族にも上々の評判でした。
麺は細麺のフェデリーニがよく合うと思います。本当はベーコンも入れたかったのですが、忘れてしまいました。塩加減がよりよくなると思います。
最後の味付け、塩をどれだけ振るかですが、少ないと味気ないし、多いと塩辛いし、やっぱり塩加減は難しいです(何だか料理人っぽい、素人のつぶやき)。